2016年5月11日水曜日

出雲移住計画 02 _ IZUMO QUEST RE-START !!

ハワイでの幕間(まくあい)を終えた僕は、東京を経由して出雲に再び戻ってきた。空港に乗り捨ててきた車で市街を久しぶりに運転しながら、何気なく景色を眺めていると場面の急展開に目眩すら感じた。「さっきまで幸福そうな音色でハワイアンが流れる中、ホテルのバーで飛び切りのカクテルを味わっていたのにな。」_ こぼしても仕方がない、それが僕のジャーニーなのだ。


(仮住まいの)家を空けていたのは数週間だったとはいえ、よく見ると埃が積もっていたので先ずは掃除から始めることにした。相変わらず携帯電話の電波は届かない状況だったのでネットに繋がることも出来ず、コラムの仕事については山を越えた出雲大社前にある某カフェで済ました。悲壮感すら漂う中でも僕はとき時で絵を描きながら、自分の状況を笑い飛ばそうと努めた_


























滞在二日目。今後の暮らし方について作戦でも立てようと、台所に立ってお茶を淹れようとしたら火が起こせなくなっていた。不安になって蛇口をひねったら案の定お湯も出ない。近所の世話役に訊いたら、「そらあ、ガス屋だあ。」って暢気な回答が返ってきたので慌てて電話したら_仮住まいの家から100mくらい歩いて電波を拾った_「週末やけん、明後日行くだが。」とやはり暢気な回答。



週明けまで火も起こせずお湯も出なかったので、仕方なく二日間は水で顔を洗って風呂は我慢した(東京だったらもっとパニックになっていたと思う)_ 月曜日にガス屋さんが来て容量が大きい中型プロパンガスを用意してもらったんだけれど、火が点いた時(お湯が出た時)は思わず歓喜の雄叫びを上げてしまった(正直、この段階で「やれやれ、先が思いやられるなあ。」って心が折れた)。


























京都にいる “ブンガク” _彼については「京都探訪♯0_町家狂想曲」を参照ください_から連絡が入ったのは、雄叫びを上げたあとの翌朝でメッセージには「締切り5月◯日まで、急がれたし。」の文字が。彼に問い合わせたら僕の今後の活動には有益な情報らしく、(国の補正予算を使った「支援事業のお知らせ」だった)、書類作成に必要な日数を逆算したらあと6日しか残っていなかった_



_市街にある商工会に詳細を尋ねようと表に出たら、見慣れない看板が立っていて「この地区の山でウロウロしたら撃ち殺されますよ。」っていう内容だった。隔絶された環境に火おこし問題、お次は身の危険を防がなくてはいけないのかと暗澹たる気持ちになる中_ドラえもんみたいに大きな鈴を付けて暮らすわけにもいかない_で僕は車のキーホルダーに向かって呟いた「キーーーン。」って。




















そこから連日徹夜でPC作業がつづくんだけれど、ここでは特筆すべきことはとくになくて。というか東京で過ごしてきたような生活は(この段階で)終ったんだなというのがよく解ってきたわけです。もちろん、今後リズムをつけてゆけば、決まった行動パターンを作り出すことは可能だと頭では解っていたけれど。それよりも臨機応変に「サヴァイブしてゆこう。」と意識を変える転換点になった。


覚悟を決めたからというわけでもないのですが、それ以降の身体動きはダンス・ステップを華麗に踏むダンサーのように軽やかになった。雨降りの時は村人は畑仕事や漁に出られないから、家に在宅しているいまが相談のチャンスだなとか。海鳥が鳴いているから夕方には天候が崩れて洗濯物は外に干せないなとか。その間も iTunes でサカナクションが、『ネイティブ・ダンサー』を唄っていた_







雨降って地固まるという言葉に在る通り、PC作業がつづく中_途中で何度も気絶したりと大変だったのですが_で古民家再生に向けた計画も前進することになった。ある日、村の老師の一人に僕が、「仮住まいの家での生活は落ち着いてきたけれど、古民家再生については遅々として進まない。」とこぼしたら、大工さんを紹介してくれたり水回りを担当する施行会社を見つけてきてくれた_



_僕のこぼした一言が目の前で村人に拡散してゆく様子は、本当に驚愕のスピードで小気味が良かったのですが、これは何かに似ているなって考えていたら。「そうだ、アウターネット(エクストラ・ネットワーク)に似ているんだ!」って思い出して、改めて村シィステムの凄さを感じました。ちょうどこの日からGWが始まって、高台の古民家の隣家では鯉も気持ち良く泳いでいました。




















「PANKICHIさんは東京を出て退路を断っているんだから、(ど)田舎でもっと頑張らないといけないんですよ。」って僕の周りで発破をかけてくれる_本当に有り難い話です、こんな僕に “アドヴァイス” くれるんだから_人びとも少なからずいるのですが、そう云われると反抗したくなるのが僕のネイチャーで。(ど)田舎にあるガレット屋でランチしたり(東京の店より全然美味しい)_


_「昼から当てっか?(実際は朝10時くらい...)」って優しい若大工に誘われて仮住まいの家の縁側で飲んだり(彼は元研究者でとてもインテリジェンスが高い)GW中はまったりして過ごしていました。元研究者の彼と畑に設置したバー・カウンターでよく冷えたビールを飲みながら、 “エントロピーの自由性” について語り合っていると。空気なんて読んじゃいけないなって思い直しました。






















東京を1ヶ月以上離れたこともなければ、車で峠を何度も攻めたこともなくて(おまけに「汲み取り式」のトイレで用を足したこともない)。それこそ毎日が人生初めてづくしの生活を送っているのですが、移住してきて早々に僕が発見したのは、「生きているっていうのは、まさにこういうことを云うんだよな。」って実感です。誰に何を云われようが、これだけははっきりと云えます。


「ここには “本当” がある。」_ 初夏の日差しを浴びながら草刈りをする僕は、この先の冒険に胸を躍らすのでした(このあと、市街に新しく出来た「AEON MALL」の駐車場で6時間くらい気絶することになるのですが......まあ、その辺はご愛嬌ということで)_ でもGW中に作った企画書が無事、採択されたら半年後は皆さんにもっと愉快な僕の《物語》シリーズをお送り出来ると思います。




[了]







《次回予告》


「ここには “本当” がある。」_ 絵描きPANKICHIが「シン・田舎暮らし」を始める中で新たな実感を深めたのも束の間、彼の下に東京から新たな “志士” が現れる。古民家再生のシナリオも劇的な展開を魅せる中、突如謎の女から「 “九州” に向かわない?」と誘いがくる。画業では、PANKICHIの新境地を顕す “立体作品” がついに完成するなど怒濤の展開!! 次回の冒険もワクワクを!!



次回「大分探訪♯0_湯屋千客万来篇(仮)」






《後日附記》


これを書いている途中、気分転換に何冊か本を読み終えたんだけれど。1冊は西尾維新氏の『傷物語(特装版)』ともう1冊は河合隼雄先生の『河合隼雄の幸福論』です。『傷物語』は東京で『河合〜』は松江で購入したのですが、二冊とも大変面白く読みました。この2ヶ月間はテレビもラジオも(場合によってはインターネットも)ない環境で過ごしていたので、それこそ吸血鬼が生き血を貪るように読んでいました。ご想像の通り僕は普段から読書って水を飲むようにしているのですが_


『娯楽』が全くない環境に身を置くと、読書ってこんなに面白いのかって発見がありました。とくに『傷物語』はライトノベルなのですが、前職が出版業だったので「ふん、ライトノベルなんざ文学とは呼べんさ。」なんて倦厭していたのですが(嫌なやつですよね......)。阿良々木暦(あららぎこよみ)という高校生の主人公がある日、美しい吸血鬼_キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード(長いですよねさすがに……)_を助けるために生き血を「吸わせて」吸血鬼となるのですが_


『傷物語』を読みながら暦少年が次第に人間の「常識」を捨てて、次第に吸血鬼の「常識」を受け入れてゆく様を読みながら。僕も実はこの田舎暮らし生活であの目を開けても閉じても同じくらい漆黒の『闇』を克服しまして......東京の「常識」を捨て去って田舎の「常識」を受け入れたということでしょうか? 僕はこのように読書によって自分をヴァージョン・アップさせてゆくという人間なので今後も、ライトノベルなり自己啓発本なり選り好みせずに読んでいきたいと思います。いまは『日本の家屋』という本を読んでいます。

















河合先生の『河合〜』は復刊本で旧作のタイトルはたしか、『しあわせ眼鏡』だったと思うのですが。読むのはこれが初めてです。僕は日頃からロールモデルについては公に知らせている方なんですが、ご存知の通り河合先生も僕の憧れのカッコイイ大人の一人です。残念ながらこの世にはいらっしゃいませんが、ことあるごとに河合先生の口調を真似て会話したり文章を書いたりしています(河合先生ごめんなさい……前職でお会いするかなと思っていましたが、ついに会えずじまいでした。←西尾維新氏とは仕事で会ったけれど)


『河合〜』の中で興味深かった項を紹介すると、「竜退治」の話を河合先生は持ち出すのですが、オーストリアの大公でフランツ・フェルディナンドが生きている間に30万頭の狩猟を行ったのを紹介しつつ、西洋では「竜退治」に挑んだ聖ジョージの伝説が受けが良いのですが。それは「竜」が自我を顕しその退治を「自我の確立」としていると説くんですね。その「竜」というのはここでは近しい女性(母親、妻、恋人など)を指すのですが、とにかく「自我の確立」を妨げる存在であるとそう仰っているわけです。


それで、先ほどのフェルディナンド大公の話に戻るのですが、彼の場合は狩猟が「竜退治」だったと解るわけですが。翻って現代の我々の中でもこの「竜退治」に挑んでいる人間(ひと)っていうのは実は少ないんじゃないかなって思っています。あるいは「竜退治」をしているのを見せるのを避けているように思えます。ちなみにこの「竜退治」の後、「自我の確立」した世界で孤立しないように美しい女性が現れるそうなのですが、さしずめ僕の周りで巫女的な女性がよく現れるのは「竜退治」をしょっちゅうしているからなんでしょうかね……


「じゃあ、その「竜」って誰なんですか?」ってことを問い合わせられても僕としては困っちゃうわけですが、その辺は河合先生に倣って「そら、わての口が裂けても云えやしまへん。」と答えておきます(そんなこと云えるわけないじゃないですか……)。でも僕の場合、ここのところ街角で待ち伏せしているみたいにその巫女的な女性が現れるから(ひょいって現れる)、ファミコンソフトの「ドラゴンバスター」みたいに(懐かしいですね……判るかしら?)何度も GAME OVER を繰り返しているんじゃないかって気がします……やれやれ、「竜退治」も大変なんだよな。






















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