いつか芝生のついた家に住むようになったら、僕はまた芝生を刈るようになるだろう。
(中略)その時になっても、僕はすごくきちんと芝生を刈るに違いない。
—— 村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』(『午後の最後の芝生』より)
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「乾かしイズモ」
ストレッチが利いた軽量のショートパンツに同じような素材のスポーツTシャツ_ご丁寧に背中には出場記念用のマラソン大会名が刺繍されてある_を着て先ほどから熱心に屈伸運動をしている。スポーツに詳しくない人間から見たらこれからマラソン大会の練習に出るのか、もしくは練習を終えて柔軟体操をしている選手に見間違えたかもしれない。でも、実際のところはそのような見間違いが起きるはずもないことくらい僕自身が一番よく解っていた。なにせその場所は、出雲市内のスーパーマーケットに併設されている真新しいコインランドリー前の駐車場の敷地だからである。走るのには不釣り合いなくらい濃いサングラスをかけており足首だって陸上選手にしては些か細すぎる。それに足元の運動靴も、ナイキのランニングシューズではなくてアディダスのテニスシューズだ_ いまから三十分前に僕ら_僕と妻と義理の妹とS氏(今回の『冒険』の手配をしてくれた担当者)だ_はこの場所に車で移動してきた。山陰地方のこの辺りは朝晩は十度以下になることも珍しくない季節だというのに、今日に限っては真夏日のような暑さだったので着ていた洋服をそっくり全部脱いで(僕ら以外は誰も居なかったからコインランドリー内で着替えた)巨大な洗濯機の中に放り込んだ。それでいまは洗い終えた洗濯物を乾燥機に移し替えて意味のない屈伸運動をしながら洗濯物が乾くのを待ちつづけている。
中山間地域の佐田(さだ)で蕎麦打ちを体験したあと、数日間を共に過ごした参加者の皆んなに別れを告げた僕らは(出雲)大社にほど近いこの場所に戻ってきた。別れ際に再会を約束した者もいれば、この先二度と会えないかもしれないなと思う者もいたけれどセンティメンタル・ジャーニーになるにはパーティーの人数は多すぎたし_車中、仲の良い姉妹は修学旅行生みたいにキャアキャア騒いでいた_それに感傷的な気分に浸っている場合ではないのだ今回の『冒険』では(僕らには何と云っても目的があるのだ)。 _そう、『目的』だ。僕らには次の場所で果たさなくてはいけない目的があった。僕らが向かっている場所は、鵜鷺(うさぎ)地区といって鵜峠(うど)と鷺浦(さぎうら)地域から成り立っている。人口の多い鷺浦の村でも三百人に満たない超限界集落である。鵜鷺を訪れるのは僕はこれで二度目である(二ヶ月前にS氏が代表を務める「ふるさとつなぎ」を通じて「『田舎』くらし体験」をした)。姉妹も何度かこの地区を訪れていて、今回は「随時開催型」と呼ばれる内容でプログラムを組んでもらった。鵜鷺の魅力は何と云っても、「海辺の小さな町」そのものである。 _洗濯物が乾いたことを告げるブザーが大きく鳴り響いた。僕は屈伸運動を止めて、眩しい太陽を仰ぎながら一度だけ大きく背伸びをする。「島根探訪♯3_ブルーオーシャン(中篇)」の始まりである。
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「潮さいウサギ」
鵜鷺に行くのには二通りある。一つは(出雲)大社の裏山を越えてゆくルートできちんとバスも通っている(でも、夕方の便を最後に市内に戻ってくることは出来なくなる)。もう一つは大社入口の大鳥居を正面に左手に折れて稲佐の浜に向かい、日本海側を北上するルートである(僕は毎回、この海沿いルートで鵜鷺に向かっている)。この稲佐の浜は「日本のなぎさ百選」にも選ばれていて毎年、旧暦の十月には全国の八百万(やおよろず)の神々がこの出雲の土地に集まって「神様会議」を行うための『入口』としても有名な浜である(今年は十一月下旬に「神迎神事・神迎祭」が行われる予定)。 _気がつけば、すっかり陽が傾いて夕日が日本海に沈もうとしている。いつの頃からか忘れてしまったけれど_きっと全国各地の書店を巡る仕事をしていた出版社時代の頃だと思う_僕はこのように綺麗な夕日が沈む景色を追いかける「サンセット・ハンター」として、『冒険』に出た際には決まってその土地での夕日を眺めるのを楽しむようになった(人生の密やかな楽しみってやつです)。「夕日なんて何処で眺めても一緒でしょう?」って云う人間(ひと)もいるけれど、その土地の空気や水がそれぞれ違うように夕日の見え方にも違いはもちろんあります。僕の知っている限り、島根県の(とくに松江の宍道湖に沈んでゆく)夕日の景色はいままで眺めてきたどのそれよりも一番美しい光景だった。
その日の夜は初めて鵜峠(うど)の町で民泊したのだけれど、夕食は何組かのゲスト_別プログラムで当地を訪れていた母娘や鷺浦に移住して間もない若い夫婦、そして「ふるさとつなぎ」の古くからのスタッフやS氏の妻子らだ_を交えて団欒の時間をとった。『宮前屋』という屋号で親しまれているこの古民家は、ゆったりとした土間があって二十畳もあろうか思われる広い居間と使い勝手の良さそうな台所、年期の入ったコンパクトだけれど趣のある風呂場に便所(もちろん汲み取り式です)という間取りになっている(二階につづく階段もあるのだが、現在は使っていない様子である)。夕方、古民家に落ち着いた僕らは先ず順番に風呂に入って、ゲストが到着する前の小時間を夕涼みがてら近所の浜辺を散歩して過ごした。鷺浦の町の浜辺と違ってこちらは船着場の広さもないから散歩できる距離も限られている。古民家を出てすぐ目の前に浜辺があって堤防の脇には今後そこで干物作りをするための建物がポツンと佇んでいる(この建物の中を夏に見学させてもらったけれど冷凍庫の中には焼いたら美味そうな干物が保管されていた)。それ以外、これといった特徴はない町だ。数えるほどしかない古民家、小さな船着場、干物作りの建物、村人の姿はほとんどない_ 途中で犬の散歩をしている女性とすれ違い軽く会釈をする。その小さな海辺の町で、耳にすることが出来たのは潮さいくらいだ。
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「家巡りウサギ」
翌朝、僕らは目を覚ますと身支度をして昨夜の夕食の残りもので簡単に朝食を済ませた(昨夜の夕食は、鷺浦に住んでいる料理人が出張して作ってくれたのだが土地の食材を使った滋養のある料理はどれも美味しかった。ちなみにその料理人も移住者とのこと)。今日は鵜峠と鷺浦の両地域の古民家を巡り、実際に移り住むのに適した住居が見つかるか探る予定である(とは云ってもすぐに移住出来るわけではないから、いわゆる視察ってやつですね)。鵜峠の古民家巡りで先導してくださったのは鵜鷺コミュニティセンターの管理人(以降、センター長と呼ぶ)でこの夏、コミュニティセンターで開かれた交流会でも少し話をさせていただいた(センター長も鵜鷺の町にUターンした方だ)。朝食を済ました僕らを迎えに来たS氏と一緒に浜辺まで向かうと、すでにセンター長が待っており再会の挨拶もそこそこに早速、高台にある古民家を紹介してくれるという。鵜峠の町は入江に面した細長い谷間に古民家が密集しているが、僕らが泊まった『宮前屋』の古民家の裏手はたしかに高台になっており、そこには築百五十年以上も経った古民家があるという。『上中屋』という屋号のこの古民家は「廻船時代の頃に建てられたものを増改築しながら先代、先々代と住んできたがこの数十年は使っておらずこうして定期的に家の掃除や畑の草とりをしにやってきている。」と語るのは古民家の持ち主である老女性_
_高台で僕らを待っていた老女性はなおも語りつづける。「風呂場なんかも昔は窯焚きだったから、ご覧の通り薪木をここに積んでおいたのよ。いまは見る影もないけれど。」 鵜峠の高台にある古民家は築百五十年以上も経過しているようには見えない外観だったけれど。なるほど、持ち主の老女性の云うように母屋の増改築していない箇所をよく見るとところどころで昔の面影が残っている。五右衛門風呂ではないけれど薪を焼べる開口部分には鉄具がそのまま残されており、ついさっきまでそこに誰かが居たような気配を感じさせる(もちろん、そんなのは錯覚で鉄具も錆だらけだし風呂場は半壊して埃やら煤をたっぷりと被ってしまっている。綺麗に掃除したところで実際に使うのは難しいだろう)。センター長と老女性が長話している間に、僕はこの古民家をいろいろな角度から見て回った。増改築した室内は未だ綺麗で住むのには十分だけれど、家屋全体を見ると潮風に長い間晒されてきたため建板は痩せてほっそりしているように見えた。二階の窓と思しき部分はガラスが嵌められておらず陽が差し込まないように遮断されている。でもロケーションは何と云っても抜群に良かった。老女性に案内された離れの果樹畑には柿や栗が実っており、一緒に手入れをしながら「長閑(のどか)って言葉はこの場所のためにきっとあるんだろうな」と思った。対岸の島では数十機の風車が回りつづけていた。
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「御月見ウサギ」
鵜峠での古民家巡りを終えた僕らは昼食をとるために車で鷺浦の町に移動してきた。町の中心部にある唯一の食事処で冷たい饂飩をいただきながら、午後は鷺浦の町の古民家巡りを先導してくれるナビゲーターを待った(でも、結局のところ鷺浦の町で僕が「ここに住みたい。」と思うような古民家は無かった。一軒だけ惹かれる家があったけれど、その古民家はちょっと変わった設定で食事をとる家屋と風呂場のある家屋が通りを挟んで別々でいわゆる、水周りが「セパレート型」の古民家だった。その設定は悪くなかったのだけれど、如何せん町の中心部に位置していたので憂慮することになった。あるいは、僕らは午前中に見た『上中屋』の古民家にすっかり魅了されてしまっていたのかもしれない)_ その日の夕方、担当のS氏の計らいで鷺浦の町から車で四十分くらいの場所にある出雲日御碕灯台に出かけて灯台の上から「サンセット・ハント」することになった。普段、僕が東京で眺めている夕日と違って日本海に沈んでゆくそれはとても荘厳で畏敬の念すら感じさせるものだった。こんなことを前篇の佐田でも云っていたら、民泊先の女主人から「五感を研ぎ澄まされておられるのですね。」と返答をもらった(こんなことを自分の口から云うのもおこがましいんだけれど、芸術家って「見えないものをいかに見抜いて、それを人びとにどう伝えるのか?」っていつも考えている人種だと思う)。
鷺浦での民泊先はこの夏に僕がお世話になった「鵜鷺げんきな会」の会長宅だった。こちらの邸宅は内装がとても綺麗で「ちょっとした旅館」レヴェルの快適さが味わえる(風呂場の窓からは鷺浦沖が一望出来るし便所はウォシュレットが付いた水洗式である)。また、会長とその奥様の気さくな人柄にこちらもつい甘えてしまう場面が滞在中いくつかあった(例によって、汚れた衣類を洗濯機で洗わせてもらった)_ 一昔前のホームドラマに出てくる舞台セットみたいに二階の建物の窓から身を乗り出せるかたちで物干し小屋があり、そこで僕は洗ったばかりのスポーツTシャツとショートパンツを_もちろん馴れた手つきで_干しながらふと、辺りが異常に明るいことに気がついて見上げると夜空にぽっかりと穴が開いたように満月が浮かんでいた。山から吹く風がゆっくりと雲を海に運んで、満月の明かりをたっぷりと浴びた雲は羊の群れのように閑かにたなびいている。「この景色はどこかで見たことがあるぞ。」と僕は思う_ 月の光、雲群れ、丘陵線……そうだ、絵画だ。東京の某美術館で見たヴァロットンの「月の光」という作品にそっくりなんだ(とき時、_というか結構、僕の場合は頻繁に_こういう既視感(デジャヴュ)が起こります。それは、きっと世界と僕の意識を繋ぐための補完作業なんだと思います)。僕は物干し小屋の柵にもたれながらいつまでもその景色を眺めつづけた。
「島根探訪♯3_ブルーストーン(後篇)」へつづく_
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「後日附記」
「後日附記」
鵜鷺(うさぎ)という小さな海辺の町の存在を知ったのは実は二年くらい前のことで、初めはパートナーや義妹が訪れたのをきっかけにそういう地域があるんだ程度のものでした。そして、誰もがその地名を耳にして感じることでしょうが、「ユニークな名前の土地もあるものだな。」と思ったわけです。その後、彼女たちの強い勧めもあってこの夏、僕はその土地を実際に訪れたわけですが想像していた通り長閑(のどか)で居心地の良い町でした。当初、彼女たちの話の中でしかその町の良さを共有する方法がなかったわけですが実際に自分が滞在してみて「なるほど、これは彼女たちも勧めるわけだ。」と納得する場面がいくつかありました。行ったことがある人なら解ると思うのですが、一言で云えば「町そのもの」が魅力的なんですね。具体的には、町の「コンパクトさ」に魅力があって、鵜峠(うど)と鷺浦(さぎうら)から成るこの地域はいわゆる、限界集落なんですが僕らがその言葉から想像する悲壮感みたいなものはなくて(もちろん、町に残っている古民家の大半は空き家なので辺りはひっそりとしていますが)、目を凝らしてよく見ればそこにささやかな日常の営みというものがまだ息づいていて、海底から引き上げた大粒貝から真珠を見つけたときのように眩く光っている。潮さいと山風の吹く音以外は何も聞こえず、かえって閑けさだけが際立つ小さな海辺の町に僕はすっかり魅了されてしまったわけです。
僕は東京の駒沢という場所で生まれ育ったのですが、近所に大きな公園(五年後のオリンピック開催に向けて現在、園内の道路整備や球技場を建て直している)があって、大学もその公園に隣接する学校に通いました。卒業後の就職先も隣町の自由が丘という_芸能人や有名人をはじめとするハイソな人たちが住んでいる_場所にしばらくの間、通勤していました。言うなれば、『東京人』を三十数年やってきたわけです。ですから、盆暮に世間の人びとが『田舎』(実家)に帰省するのをどこか羨ましいなと思いつづけてきました。僕にはいわゆる「ふるさと」がなかったわけです。そのような劣等感にも似た感情を抱きながら、昨年辺りから島根という縁もゆかりもない土地にどういうわけか呼ばれて何度か訪れるようになったわけですが(どうもその辺の事情が関係しているみたいです)、この鵜鷺という小さな海辺の町は僕が恋い焦がれていた「ふるさと」のイメージにかなり近かったわけです。そういう意味では、僕自身は『移住』を決めるための土地を探してきたというよりは、擬似「ふるさと」を作り出そうとしているのかもしれません。両親が住んでいる実家がなくても、探訪のご縁によって生まれた人間関係を梃子にその土地に「帰れる場所」を展開しようと考え始めているのかもしれない。「でも一体、僕はどうしてそのような考えを持つようになったのだろう?」_ その答えは『冒険』忌憚(後編)に出る。