前回(「島根探訪♯3_羊をめぐる冒険」)、僕は中山間地域の佐田(さだ)をはじめ日本海側の出雲市の鵜鷺(うさぎ)。県境の松江市の美保関(みほのせき)や山奥にある雲南市の木次(きすき)など、宍道湖を中心に時計回りに島根県の各所を巡る『冒険』に出ました。_その結果、僕は出雲大社の裏山を越えた場所にある限界集落『鵜鷺地区』に移住しようと決断を下しました。
11月下旬にその報告を僕の「島根移住計画」のコーディネートを担当している「ふるさとつなぎ(NPO)」のS氏に打診したら、「では12月頃に一度、こちらにいらっしゃって諸々のお手続きについて話し合いましょう。」という返事をいただき、今回(「島根探訪♯4_冬のナギサ篇」)の『冒険』が実現しました。今回は移住先となる古民家の家主に先ずはご挨拶をするのが目的です。
ご存知ない方に説明しておくと『鵜鷺地区』というのは鵜峠(うど)と鷺浦(さぎうら)の二つの地域から成り立っていて、地区の人口は300人くらいしかいないと聞いています(ちなみに、僕の移住先の古民家がある鵜峠は村民が50人くらいしかいない「超・限界集落」になります)。ほとんど「無人世界」に近いのですが、その代わり自然だけは手つかずの状態で残されています。
出雲大社前に到着したのが朝の8時過ぎだったのですが、空模様は怪しく午前中のうちに雨降りが始まりました。また、担当S氏の提案で今回は『冒険』の前半のうちに諸々の用事を済ませてしまおうということで、到着したのもつかの間、休憩も挟まずにS氏の運転する車で市役所を訪れて移住に必要な手続きを確認したり、市内に住んでいる古民家の家主にご挨拶を差し上げたりしました。
長時間の移動と、馴れない場所に出向いて人と話したおかげで、日が暮れる頃にはさすがの僕もクタクタになっていたのだけれど、『鵜鷺地区』に到着した僕に追い打ちをかけるように待っていたのは、「漬物石を納屋に運んでほしい。」という村人の要求でした(あとで判ったことなんだけれど、紹介時に「東京の人」を「農協の人」と聞き間違えたらしい)。キツい洗礼を受けました。
目眩のするような洗礼を受けた初日の夜は、鵜峠のゲストハウス「はまのや」にお世話になることになりました。20台後半と思われる若い女性がオーナーのこのゲストハウスも築170年近く経っている古民家で、その日は彼女の旧知の友人がオーストラリアからたまたま帰って来ており、三人で夕飯を作ることになりました(民泊ルールで宿泊客は調理を手伝う必要があるらしい)。
夕食を食べ終えたあと、「明日も早いのでゆっくりお休みください。」とやさしい言葉をいただき、その日は泥のように眠ることになりました(就寝前に女性オーナーが居間で香を焚いていて、その香しいにおいを嗅ぎながら僕は「さっそくタイムスリップしたみたいだな。」と幻覚に似た感覚を初日から覚えるのでした)。翌日、さらなる洗礼を受けることになるのも知らずに……。
翌日の朝、僕は突然の物音で目を覚ました。カーテンで閉め切られていたため外の様子は判らないけれど、どうやらひどい暴風雨がやって来ているらしく、僕が寝ていた古民家の雨戸はさっきから大きな音を立てていた。慌てて身支度を整えて一階に降りると、すでに女性オーナーの姿はなく_仕事で隣町までもう出かけていた_オーストラリア帰りの女の娘が朝ごはんを作っていた。
「外はひどい嵐よ。それにしてもあなた、ひどい時に来ちゃったわね。」と彼女はシジミのみそ汁を僕に注ぎながら同情してくれたのだけれど、今回の『冒険』に出る際に担当S氏には「冬の厳しさを肌で感じておきたい。」と伝えていたので。まさか、嵐がやってくることになるとは思いもよらなかった(鵜鷺コミュニティ・センターに行く道中、大波にのみ込まれそうにもなった)。
「外はひどい嵐よ。それにしてもあなた、ひどい時に来ちゃったわね。」と彼女はシジミのみそ汁を僕に注ぎながら同情してくれたのだけれど、今回の『冒険』に出る際に担当S氏には「冬の厳しさを肌で感じておきたい。」と伝えていたので。まさか、嵐がやってくることになるとは思いもよらなかった(鵜鷺コミュニティ・センターに行く道中、大波にのみ込まれそうにもなった)。
「住まわれようとしているあの古民家はセメント瓦だから住み始める前に一度、雨漏り防止の塗料を施すと良いですよ。」_ Kさんから貴重なお話しとお土産に地元で釣れた魚をいただき、午後は鵜鷺コミュニティ・センターで地元の要人の方に合流をしていただいて今後の仕事のことや地域貢献の一貫として、アート・プロジェクトを立ち上げることになったりと濃い時間を過ごした。

夕方、少しだけ早く打ち合わせが終った僕は担当S氏の車で「はまのや」まで戻ってきた。女性オーナーはまだ仕事から帰宅していなかったので、先に夕食の準備をして待つことにした。各部屋の灯りを付けて廻り、石油ストーブに火を点けて暖をとった。朝食のシジミのみそ汁を温め直して、Kさんからいただいた魚を冷蔵庫から取り出しているところで彼女がタイミング良く帰ってきた_
僕がフライパンに魚を並べているのを見つけると、「ねえ、わたしあの加工場の魚を一度で良いから食べてみたいと思っていたのよ。素敵だわ。」と彼女が感激していたので、「ついでに冷えたビールも用意しておいたよ。」って僕も答えた(でも内心は「『東京』でこんな生活を送りたかったんだ。」と云いたかったけれど黙っておいた)。慎ましい食卓にショパンのピアノ協奏曲が流れていた。
翌日、僕は誕生日を迎えた_ 新しい年齢(とし)の始まりを「再スタートを切る場所でどうしても過ごしたい。」と思った僕は担当S氏が車で迎えに来る前に高台にある古民家へ駈けて行った。嵐が過ぎ去ったあとの海原は穏やかで、対岸の島では風車が暢気に数十機クルクルと回っていた。朝陽を浴びて薄紫色に変わった雲が棚引いているの眺めながら、僕は風と波の音に耳をすましていた。
うしろを振り向けば今にも朽ち果てそうな古民家が佇んでいて、目の前にはこじんまりとした果樹畑が広がっていた。その時、僕はふと思った。「もしも、この世に天国が在るとしたら、きっとこういう場所なんだろうなあ。」_ そんな天国に一番近いような場所で僕は本当に暮らしていけるんだろうか? 一瞬だけ不安が過ったけれど、目の前の美しい景色の感動がそれを拭い去った。
「今日は一日、松江市で開催される企業フェアに参加出展するので、PANKICHIさんも一日お付き合いいただけますか?」_ 担当S氏が代表を務める「ふるさとつなぎ(NPO)」にはいつもお世話になりっぱなしだったので、もちろん二つ返事で引き受けました。会場で待ち合わせしていたボランティア・スタッフの島大生の女の娘と一緒に僕らは早速、ブース作りに取りかかりました。
出版社時代にブックフェアなどのイベントに参加出展してきた経験を持つ僕としてはこの手の作業については実は馴れていて、当時は広報部に所属していたのでブースが完成するやいなや早速、会場を廻っていた企業担当者や島大生たちを相手に団体PRを行いました。途中、代表に間違えられる場面もあり、慌てて「『東京』から来た移住希望者です。」と訂正する一幕もありました。
企業フェアの参加出展を手伝ったその日の夜は、鷺浦の村に宿泊することになりました。お世話になる宿泊先は「鵜鷺げんきな会」の会長宅でした(これでもう三度目になる)。実は前回、宿泊した際に会長の奥様から「PANKICHIさんの作品を我が家にも飾りたい。」と絵画制作のご依頼を受けたため今回の訪問に合わせて急遽、作品を描き下ろしました(作品名:『A.P.T. _ Usagi Harbor』)。
滞在四日目、鷺浦の朝。天候は相変わらず優れませんでしたが、波はとても穏やかで朝食を食べた終えた僕はふらっと散歩に出かけました(納めたばかりの絵画作品と同じ風景を歩いていて不思議な気持ちになりました)。滞在最終日となるこの日は、やはり担当S氏の仕事の打ち合わせに同行というかたちで、地元の要人の方とざっくばらんな対話を行って親交を深めることになりました。
次の『冒険』先である西の都_「京都探訪_町家狂想曲」として番外篇を更新予定_への出発まで半日近くあったので、打ち合わせが終ったあと担当S氏の案内で鷺浦の裏山にある「鷺銅山」跡地に連れて行ってもらいました。「昔はこちらの銅山ではたくさんの鉱夫たちが働いていました。」と担当S氏の説明を聞きながら、跡地まで進んで行きましたがなかなかワイルドな場所でした。
僕らはその後、巨石が祀られている場所も巡りました。これは個人的な感想なんだけれど「どうもこの『鵜鷺地区』ってのは謎が多い場所だな。」というのが正直なところです。それはきっと、一つ山を越えた場所にある「出雲大社」と何か深い関係があるんだろうなと直感的には思うのですが、この謎については実際に移住してから探っていこうかと秘かに目論んでいるところです。
今回、冒頭で申し上げたように、僕の《移住計画》を知ったまわりの人びとは口を揃えて「何もそんな遠い場所に住まなくても。」と云うのですが。僕も実は最近までそう思っていました。『東京』で生まれ育ったのだから、何も縁もゆかりもない土地でしかも人影が疎らな限界集落に住むなんてと_ でも、こうも思ったわけです。「今までとは違うことをした方が良いのではないか?」
僕は数年前、ちょうど35歳になった時にこう考えました。「人生70歳として残りの半生は今までとはまったく違う人生を歩もう。」と_ 個人的な理由でこの数年間は、「空気がとりわけ美味い場所」や「自立再生可能な社会(村)」、それと「無人世界に似た閑かな環境」と「身体がすこぶる悦ぶ食材」を探し求めてきましたが、ようやく「ユートピア」となる聖域を発見しました。
『東京』という場所や環境や社会が「悪」だとは一切思っていません。ただ僕はこの先、「シィステム」という巨大な物語に自分のささやかな物語を預けたくはなかった。むしろそれよりは、自分のささやかな物語を少しずつヴァージョン・アップしていきたかった。色々な場所を訪れて奇妙な登場人物に出会い、時には動物たちと触れ合いながら自分だけの物語をこしらえていきたかった。
絵描きという人間は「霞を食べて生きて」いる人種で、僕にとって自分のささやかな物語というのは、創作をする上で何よりも重要な役割を果たすと思いつづけてきました。この先もその思いが変わることはありません。今後、ヴァージョン・アップを重ねることで、その物語は重層的な構造(ストラクチャー)になっていくはずです。《移住計画》はその目的達成のための一つの手段なのです。
「島根探訪♯4_冬のナギサ篇」はこれで終いです。《探訪篇》は約1年間つづきました。そして今年はいよいよ、《開拓篇》が始まります。一区切りついた今回、御礼を申し上げておきたいのは担当S氏の存在です。彼から今回、正式に「ふるさとつなぎ(NPO)」会員になる承認をいただきました(どんなことをするのかよく判っていないけれど)。有り難うございました。
それと《探訪篇》で関わったすべての人びとにも御礼を申し上げます。まだ《移住計画》が全て完了したわけではありませんが、皆様のご助力がなければここまでたどり着くことは出来ませんでした。ひき続き、ご声援をよろしくお願い申し上げます_ この後、僕は西の都を訪れたのだけれど、到着するやいなやブタペストの街に降り立ったような雰囲気で……この様子は次回に続く^^
[了]
次回、「京都探訪_町家狂想曲篇」(鋭意執筆中)!






















