2016年5月30日月曜日

出雲移住計画 ♯03 _ モナリザの微笑み、達磨サンが転んだ、スッポンの捕物帳

店内に入るとパン屋特有の香ばしいにおいが鼻をくすぐった。カウンター奥のオーブンでは新しいパンを焼いているのが見えた。コの字型に敷かれたカウンターには出来立てのパンが並んで、手に取られるのをいまかいまかと待ち続けているようにも見えた。「どれも美味しそうですね、それに品揃えも実に豊富だ。」_ 実際に商品のパンを見てみると食パンやフランスパンのほかに、キッシュやタルト、クロワッサンやフォカッチャなんかもある。チーズを練り込んだパンもあればイチジクのパンも用意がある。「お気に召していただいて、光栄ですわ私としても。」_ 言葉少なげにそう答えたパン屋のオーナーらしき彼女の口元はまるでモナリザの絵みたいに微かな笑みを浮かべていた。営業的な笑みではなく彼女の内側からにじみ出たような素敵な微笑みだった。









大分探訪を共にした地元のガールフレンドに先日、「大社近くにあるギャラリーに顔を出すと良いわよあなた。」と云われたので_僕の今後の創作活動のヒントになる展覧会がギャラリーで開かれているらしく「とにかく見てらっしゃい。」って云われたので(彼女に誘われて向かった由布院の展覧会はことのほか良かったので、彼女の巫女的な『御告げ』には従うようにしている)_街にのこのこと繰り出してギャラリーに立ち寄ったら、どういう理由か閉まっていたので(もちろん営業時間は確認して出かけた)思案していたら、パンを焼く香ばしいにおいがしたので隣の店を覗いたら件(くだん)の彼女がこちらを見ながら微笑んでいた。「ギャラリーのことについて何か知っているかもしれないな。」と思って僕はそのまま吸い込まれるようにパン屋に立ち寄った_









「隣の****ギャラリーなんですが、今日はもう閉まっているんでしょうか?」_ 僕は店内の様子を伺いながら、出来るだけ失礼がないように訊いてみた。モナリザの絵としての彼女は微笑みをやや後退させながらも僕の質問に回答を出そうとしていた(彼女は今度はロダンの彫刻みたいに下顎に手を添えて考え込んでいた。僕はそんな彼女の真摯な姿勢にとても好感を持った)。「扉は閉まっていても鍵は開いているはずだからお声をかけてみてください。」_ 彼女の出した意外な回答に僕は正直半信半疑だったけれど、ともかくやってみるしかない(『御告げ』に従うのがこの土地の処世術なのだ……)。僕は後ほどパンを買う約束をして店を出た。そしてパン屋の彼女が予言したようにギャラリーの扉が開いたので(開けごまだ)、恐る恐る声をかけてみた。









「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」_ 返事が全くないので僕はギャラリーの奥に向かって何度か声をかけ続けた。「そんなに何度も声を上げないでおくれよ。」_ 突然、中年女性の声が聴こえたので僕は驚いて黙った。声の方向に目を凝らすとショートカットの中年女性が建物の奥からすっと現れた。パン屋の彼女みたいに素敵な微笑みはもちろん浮かべていなかった。「すみません、今日はもう閉まっているんでしょうか?」_ 後悔しても始まらないのでショートカットの中年女性に質問した。「ああ今日ね、開いているけれど閉めたんだよ。」_ 何だか禅問答のように訊こえる回答を受け流しながら、僕は短時間で良いのでこちらの展示作品を見させてほしいと勇気を振り絞って願い出た(僕の脳裏でパン屋の彼女の微笑みがちらっと浮かんだ)_









僕が絵を描いている人間で東京からこちらに移住して間もないことや、いまは古民家再生に向けて準備中だということを正直に話したら、ギャラリーの女主人は黙ったまま奥に引っ込んで店内の電灯を点けてくれた。そして、上がんなさいよという仕草で顔を一度横に向けた。そのあと僕が展示作品を見ている間、このギャラリーについてポツリポツリと独り言のように話してくれた。地元のギャラリーにしてはまだ新しいこと(開業して五年ということだ)やこの建物も古民家がベースになっていることなどだ。「それであんたはいま**ちゃん(達磨の絵付け師匠のことだ)に師事しているわけだね。」_ ええそういう流れになっているみたいですと僕は最近仕上げた作品の画像を携帯電話から探して女主人に見せた(「ふうん」と一言だけ彼女は反応を示した)。









僕と女主人はそのあとも昨今の「クラフト・ワーク事情」みたいなものについて語り合ったのだけれど、割に意気投合する部分があって話しは盛り上がった(ギャラリー・オーナーと創作家という立場で違いはあったけれど、お互いに「センスの高い」モノを魅せたいという点で意見は一致していた)。要するに二人とも常に『エッヂに立って』いたいと願っている人間だった。そろそろ引き際かなと思ったその時、入口の戸でガサガサと音が立った。別の客が入って来たのかなと戸を開けたら誰も居なかった。でもその代わりにフリスビーくらいある大きさのスッポンが店先に現れた。それを見た女主人は軽く叫んだけれど結局、ギャラリーの奥からバケツを持ってきてスッポンを捕獲することになった(やれやれ……蛇の次はスッポンか、次は一体何が現れるんだ?)。











一連の騒動が収まってパン屋に戻ったら、モナリザの絵としての彼女はそこにまだいて、例の微笑みで僕を温かく迎えてくれた。「お帰りなさいませそれで、隣はいらっしゃいましたか?」_ ついさっきまでスッポンの捕物帳を繰り広げていたんだよなんて云ったら、今度こそ彼女の微笑みが消え去ってしまいそうな気がしたので「うん、ギャラリーの女主人と盛り上がったよ随分。」って答えた(……嘘はついていない)。それから僕は明日の朝食用にいくつかパンを買い求めた。会計時に彼女が何をやっている人間かと訊ねてきたのでギャラリーの女主人にも先ほど話したように東京から移住してきたことや絵描きだと一通り説明すると、彼女が急に目を輝かせて_そして幾分微笑みを増して_こう告げた。「PANKICHIさんには今後、絵を描いてもらいますわ。」_



[了]










《後日附記》


本格的に移住生活を開始してから早いもので一ヶ月が経過しました。Waikiki beach でマイタイを飲んでいた頃が何だか昔のことのように思えます。この一ヶ月は実は相当「意識して」動いていたと思います。GW中は商工会に連日通って民泊業の経営企画書を一緒に作ったり(通常三ヶ月かかって作る書類を僕は乱暴だから十日間で仕上げた……連日徹夜で死ぬかと思いました)、町内会に積極的に顔を出して村の収支報告を聴きながら予算とかを把握したり、画業(&執筆業)の仕事に繋がるような人びとにお声をかけていただき打ち合わせをしたり、高台の古民家(版吉亭)の家主さんのご自宅近くにある畑で苺を採ったり、そうだ……他人(ひと)の運転とはいえ大分は由布院まで展覧会を見に行ったりと……とにかく考えられる限り、無茶苦茶動き回っていました。











こちらでの生活で一番不便なのはやはり、インターネットが繋がらない・携帯電話も繋がらない・お店と呼べるものが一軒もない(・おまけに近所には人間も居ない)という……地元の人が訊いても結構、「ワイルドな場所におるねえ。」と同情されるような環境に住んでいる僕ですが(映画『オデッセイ』の世界みたいだなと僕自身は勝手に思っています、少ない資材・資源でこの危機をどう生き抜くかという思考の観点で……実際、GW中は玉ねぎの箱にマックのデスクトップを一式詰め込んで、隣村までネット環境を求めて移動していました)。逆説的に云えば、意識的にネットに(街に・人に)「繋がりに行く」生活を一ヶ月間してきたわけです。それでどういう効果があったかと云うと「情報のシャワー」を浴びずにいるので完全にストレスフリーになりました。









この Blog は「出雲移住計画」というタイトルで古民家(版吉亭)が完成するまでの過程と生活の様子を(時どきによって、小説仕立てで)連載を重ねてゆきますが、基本的には東京や京都も巡りながら生きてゆくので都会にいる人間(ひと)たちに向けて、「新しい移住のかたち」をお届け出来たらと思っています。先ほど「情報シャワー」を浴びないでいたらストレスフリーになったと申し上げましたが、本来ネットや携帯電話なんて必要ないんじゃないかって最近は思い始めています。あとここ二十年間くらい日本に漂っている “閉塞感の正体” についてもこの Blog で解明していきたいと思っています。つねづね云ってきていることですが「空気なんか読んで」いたら早晩、人間が駄目になります。他人(ひと)の目なんか気にしていたら息苦しくなって当たり前で_











_僕なんかもこの二ヶ月くらいは、実は村のシィステムの善し悪しを実感してきました。良いことは以前にも書きましたが情報の伝達スピードが “アウターネット(=エクストラネット)” みたいに驚異的に速いことです。情報の拡散スピードが村社会では想像を超えています(僕の名前なんて隣町くらいまで直ぐに浸透しちゃう)。悪いことは……これはまあ、個人情報もあるので詳細は割愛しますが、少しだけ申し上げておくと都会にいても田舎にいてもやはり、「 “優等生” は潜在的に“劣等生”に嫉妬を覚える。」ということです_ 僕が “優等生” だとは思っていませんが田舎に来ても、相変わらず “劣等生” に振り回されて色々と大変でした(この問題については先日、片をつけてきましたが……)。とにかく、来月からはいよいよ古民家再生計画が始動いたします?!











《次回予告》


満身創痍の PANKICHI のもとに “新たな志士” が二人現れる。新撰組よろしく沖田総司と土方歳三のようなフレッシュ・コンビは東京の “ヒット・ガール” 顔負けの鎌捌きで颯爽と、高台にある古民家(版吉亭)の果樹園の雑草や害虫を掃討してゆく。一方、PANKICHI は “達磨師匠” に誘われて寺社探訪の遍路に出かけることに……そこで一行は思わぬ展開へと巻き込まれてゆく?! 次回もワクワクをめぐる冒険を!!



次回、「出雲移住計画♯4 _ 天誅でござる!!(仮)」_









2016年5月20日金曜日

大分探訪♯0_湯屋千客万来篇

硫黄の匂い立ちこめる温泉街で「ナイト・サファリ(パーク)体験」が出来るとは、僕を含め同行メンバーもこれっぽっちも思っていなかったのですが(一体、誰が想像出来るんだろう?)。実際、お世話になった “巨大ホテル” の提供する「力押しのおもてなし」に別府地方、いや九州地方全体の “底知れぬタフさ” を感じたのでした。今回は初めて訪れる場所なので、「大分探訪♯0」としてワクワクをめぐる冒険をお楽しみください。






「わたしと一緒に “九州地方” に向かってみる気はあるかしら?」_ GWにさしかかったある日、地元(出雲だ)のガールフレンドから誘いを受けた。「九州地方? 被災地のボランティアか何かか?」と一瞬思ったけれど、ちょうど地元行政(商工会だ)に提出するための経営企画書を作成していた僕としては気分転換を図りたかったので、「いいよ、予定を空けておくよ。」と二つ返事で答えた(それに予定なんてほとんど無いし)。


当日、出雲大社近くの駐車場で待ち合わせをして、旅程を訊いたらなかなかの弾丸ツアーだったのだけれど。運転はロビン_彼については今後、登場回数も増えてゆくと思いますが、僕の出雲での “足(CUBEだ)” を確保してくれた人物で今回、彼の元職場である別府の “巨大ホテル” に泊まることになっていた_が担当するということで気が楽になった。『水曜どうでしょう?』ならぬ「火曜どうでしょう?」(当日は火曜日だった)の始まりだ。










「島根県を抜けるまでに四時間、九州入りしたらその後は二時間。」_ ロビンの詳細な案内を訊きながら「火曜どうでしょう?」チームは広島→山口→大分と車を順調に走らせた。途中のサービスエリアでは悪ふざけで「わさびアイスクリーム」や「紅葉まんじゅうサイダー」など、ご当地グルメ(?)を無理やり口にする場面もあったけれど。旅団の名前からしてふざけているのだから仕方ないと、アイスクリームを舐めて顔をしかめる僕でした_


_九州地方に入った途端、「あ、ここはもう土地が違うんだな。」と思うくらい日差しが強くなり、眺める景色も雄大なスケールになった。ロビンの元職場である “巨大ホテル” は大分県は別府の市街地から少し高台にあるのだけれど、ロビン曰く「馬鹿みたいに資本を投下しているので、腰を抜かしますよ想像のギャップに。」とのことだったんだけれど、なるほどフロントデスクも長いし、僕らの部屋は想像していた以上にゴージャスだった。











「大分に来たらここ。」と太鼓判を押すロビンに誘われて、とり天発祥の店である『東洋軒』で夕食をとったのですが。実は僕、肉の中でも鶏肉が一番好きでして、もちろんとり天も以前に東京で食べたことがあるのですが、発祥の店ということで期待値は高かったのですが、その期待値を超えるくらいの美味さでした。欲張って麻婆豆腐も付けたんだけれど、甘辛ソースで仕上げたそれも白いごはんが進みました(あー、書いていても涎が出る…)。


僕は出版社時代に仕事で全国津々浦々を旅していたのですが(どんな仕事かって?……まあ、要するに本の宣伝みたいな仕事です)。大分県って一度も訪れたことがなかったですね(秋田県と青森県に足を運べば全国制覇したことになる……)。そういうこともあって今回、二つ返事で今回の旅に乗っかったのですが。知らない土地を訪れるって脳内物質がバンバン出るので好きです、臨戦態勢に入るというか……そう、ワクワクするんですね。










“巨大ホテル” のことについて少し書いておくと、創業は40〜50年前からなんだけれども。バブル崩壊後やリーマンショックなど途中で何度も経営難が訪れて、いまは外資系企業Oが参画して再建計画を遂行しているらしくて。とにかくまあ、「力押しのおもてなし」が随所に施されていて。この「イルミネーション化計画」は初めは小規模だったらしく、現在は別館含めて規模を拡大しており最近では「プロジェクション・マッピング」まで導入しており_


_ホテル経営についてはよくわからないけれど、野球で喩えると「来た球はとりあえず打ってゆく、かすればそこそこの塁打になるから。」みたいな感じです。熊本・大分大地震の影響もあって客足は激減している中でも、外国からの観光客(ここ別府では韓国からの訪問客が多い)の心をしっかり捕まえて。それなりに “湯屋千客万来” の状態なのでした。それにしても、屋上にある温泉のラスベガスさながらの照明ショーも度肝抜かれたけれど……。










この旅、唯一の誤算は『耳せん』を持参しなかったことで、その夜ロビンのいびきで一睡も出来ず夜明けを迎えた僕でした。その代わりと云っては何ですが、別府湾(?)沖から出る朝陽の美しさを目にすることが出来ました(実は前日の夜も数時間しか眠っていなかったのでよっぽど「火曜どうでしょう?」チームの紅一点(出雲ガールフレンドだ)の部屋のドアをノックしようと思ったけれど……臆病者なので止めておきました、やれやれ)。


「焼き加減はミディアムでよろしいでしょうかミスター?」_ “巨大ホテル” の料理長自らオムレツを焼いてくださるという格別の朝食をいただきながら、「火曜どうでしょう?」チームは旅の目的地である由布院を目指すのでありました(今回の目的は、出雲ガールフレンドの知人である作家さん_後ほど紹介します_の個展を見に行くのが目的だった)。でももちろん、僕らはおふざけチームなので旅程はどんどん横道に脱線してゆくのですが……







「そのまま由布院に向かうのも良いけれど、どうせなら “地獄” に立ち寄りませんか?」_ またロビンがおかしなことを云い出したぞと思いながらも、僕なんか生前ろくでもないことをこれからもするんだから死んだら先ず間違いなく “地獄” 行きになるんだし(強く頷いている人びとの顔が思い浮かびますが……)ここは一つ見学でもしておくかということで行ってきました “地獄” に……僕らが立ち寄ったのは「海地獄」だけだったのですが_


_他にも「山地獄」とかバリエーションがいくつかあって、国指定の名勝ということもあってなかなかの “地獄” っぷりでした(僕はもっと張りつけの刑にあっている人間とかいるのかなと内心ビクビクしていたんだけれど、どうやらそういうのは本当に “地獄” に行ってから体験する感じでした)。朝食でお腹はいっぱいだったのだけれど、 「峠の本格“地獄” 蒸しプリン」が美味しそうだったので別腹におさめておきました。“地獄” も商売上手みたいです。











「ザッッッッッッッッパァァァァァァァーーン!!!!!!!!!」_ 突入と共に辺りを揺るがすほどの爆音と、大量の水しぶきが降り散るのを目の前にしながら。「何でまた僕はここにいるんだ?」と思いながら呆然と立ち竦んでいた(撮影に夢中で危うく水浸しになるところだった)。別府と湯布院のちょうど間にある場所に、 “KIJIMA AMUSEMENT PARK” があるのを知ったチームの紅一点が「どうしても乗ってみたい!」という鶴の一声で車は遊園地に向かった_


_僕は昔からジェットコースターの類いは得意な方で、「サクっとやっつけて次へ行こうぜ。」と最初は格好をつけていたのですが。園内の目玉アトラクションである「ジュピター」_なんでまたそんな名前を付けたんだろうという疑問もあるのですが_という木材を六万本を使用したジェットコースターに乗ったらですね、致命的に三半規管を破壊されるという結果になりました。この後、僕はチームメンバー二人が愉しむ中、小一時間ほどベンチで休憩していました。












「この遊園地はもう二度と行かないだろうな。」と愚痴をこぼしながら、脱線した旅程を軌道修正して一行は由布院へと向かい直したのがお昼過ぎで。由布院駅に到着した頃には気温が二十五度(!)以上もあって、僕らは昼食に冷たい蕎麦で “涼” をとる場面がありました。九州地方は以前に鹿児島や熊本など訪れたことはあったのですが、久しぶりに来て「そうそう、日差しが真っすぐなんだよな。」と恨めしそうに太陽を仰いでいました_


_今回、出雲ガールフレンドの誘いで訪れた旅の最終目的地は、『由布院駅アートホール』という場所で。彼女の知人である、佐野行徳さんの作品展「けしきのかたち」を見に来たのでした。由布院駅は漆黒柱をベースに簡素だけれどしっかりとした存在感を出していて、僕らが訪れた時にはちょうど韓国人の旅団がたくさんいて、さながらアジア・ギャラリーに来ているような錯覚を起こすような雰囲気が出ていました。良い意味で予想外でした。















佐野行徳さんはかつて大分大学で美術を学んで、いまは大分以外の場所(僕の移住してきた島根県の松江市など)で創作活動をして発表されているとプロフィールに書いてあり、今回、作品のテーマである “けしき” という言葉は、主に茶道の世界において釉薬と焼成による「なだれ」や窯変、斑文(はんもん)など、器表面の表情を指す「景色」に由来するとも説明されていました。展示作品を僕もじっくりと見ながら、なるほど “器” 作品を手にしたような_


_何とも云えない愉しみがあるじゃないか、と驚きつつ。実際に作品に顕われた無骨かつ繊細なマチエールを佐野さんは「主人公」と仰っているように、酸化した金属などを想起させる画面には、茶碗の見所のような「景色」としての存在感があるなあと感心する僕なのでした。僕も絵描き・創作家の “端くれ” として佐野さんの作品のようなを少しでも世に投じていきたいと旅の最後にキュッと締めてくれたのでした(本当に刺激的な作品が多かったです)。














そのあと、由布院駅から別府を経由して山口と広島と帰って行ったわけですが、どういう経路を通ったのかはあまり覚えていません……二日間も徹夜続きの身体に途中で気温が高くなったり、老体に鞭打ってジェットコースターに乗ったりしたものだから。車中は後部座席で眠り猫のようにこってりと横になっていました(その他にも湖に立ち寄ったりしたのですが、出鱈目な旅程だったことはお伝えしておきます)。でもまあ、今回は良い意味で肩の力を抜いて旅行が出来ました。


肩の力を抜いてで思い出したわけではないのですが、僕には熊本に移住した「肩の力抜き師匠」がいるのですが(東京で僕の髪を切ってくれていた女性)。今回は大分止まりでしたが大地震の影響をこの目で確かめようと、それで九州地方に足を運んだわけですが。やはり由布院の街だけでも立て看板や屋根瓦を改修工事している店や住宅が目につきました。熊本地方はおそらくそれ以上の影響があると思いますが、いまはただいち早い復興を願うだけです。



[了]










《 次回予告 》

大分探訪を終えたばかりの PANKICHI のもとに、「古民家再生計画」で新展開のニュースが入る!! 京都探訪に向けて創作の準備も進めねばならない中、PANKICHI は土壇場である “秘策” を思いつく。しかし行く手を阻む新たな “敵” も現れて窮地に陥る PANKICHI 、彼の冒険奇譚はどこまで続くのか??


次回、「出雲移住計画_転んだのは達磨さんだ(仮)」



次回もワクワクをめぐる冒険を!!


















2016年5月11日水曜日

出雲移住計画 02 _ IZUMO QUEST RE-START !!

ハワイでの幕間(まくあい)を終えた僕は、東京を経由して出雲に再び戻ってきた。空港に乗り捨ててきた車で市街を久しぶりに運転しながら、何気なく景色を眺めていると場面の急展開に目眩すら感じた。「さっきまで幸福そうな音色でハワイアンが流れる中、ホテルのバーで飛び切りのカクテルを味わっていたのにな。」_ こぼしても仕方がない、それが僕のジャーニーなのだ。


(仮住まいの)家を空けていたのは数週間だったとはいえ、よく見ると埃が積もっていたので先ずは掃除から始めることにした。相変わらず携帯電話の電波は届かない状況だったのでネットに繋がることも出来ず、コラムの仕事については山を越えた出雲大社前にある某カフェで済ました。悲壮感すら漂う中でも僕はとき時で絵を描きながら、自分の状況を笑い飛ばそうと努めた_


























滞在二日目。今後の暮らし方について作戦でも立てようと、台所に立ってお茶を淹れようとしたら火が起こせなくなっていた。不安になって蛇口をひねったら案の定お湯も出ない。近所の世話役に訊いたら、「そらあ、ガス屋だあ。」って暢気な回答が返ってきたので慌てて電話したら_仮住まいの家から100mくらい歩いて電波を拾った_「週末やけん、明後日行くだが。」とやはり暢気な回答。



週明けまで火も起こせずお湯も出なかったので、仕方なく二日間は水で顔を洗って風呂は我慢した(東京だったらもっとパニックになっていたと思う)_ 月曜日にガス屋さんが来て容量が大きい中型プロパンガスを用意してもらったんだけれど、火が点いた時(お湯が出た時)は思わず歓喜の雄叫びを上げてしまった(正直、この段階で「やれやれ、先が思いやられるなあ。」って心が折れた)。


























京都にいる “ブンガク” _彼については「京都探訪♯0_町家狂想曲」を参照ください_から連絡が入ったのは、雄叫びを上げたあとの翌朝でメッセージには「締切り5月◯日まで、急がれたし。」の文字が。彼に問い合わせたら僕の今後の活動には有益な情報らしく、(国の補正予算を使った「支援事業のお知らせ」だった)、書類作成に必要な日数を逆算したらあと6日しか残っていなかった_



_市街にある商工会に詳細を尋ねようと表に出たら、見慣れない看板が立っていて「この地区の山でウロウロしたら撃ち殺されますよ。」っていう内容だった。隔絶された環境に火おこし問題、お次は身の危険を防がなくてはいけないのかと暗澹たる気持ちになる中_ドラえもんみたいに大きな鈴を付けて暮らすわけにもいかない_で僕は車のキーホルダーに向かって呟いた「キーーーン。」って。




















そこから連日徹夜でPC作業がつづくんだけれど、ここでは特筆すべきことはとくになくて。というか東京で過ごしてきたような生活は(この段階で)終ったんだなというのがよく解ってきたわけです。もちろん、今後リズムをつけてゆけば、決まった行動パターンを作り出すことは可能だと頭では解っていたけれど。それよりも臨機応変に「サヴァイブしてゆこう。」と意識を変える転換点になった。


覚悟を決めたからというわけでもないのですが、それ以降の身体動きはダンス・ステップを華麗に踏むダンサーのように軽やかになった。雨降りの時は村人は畑仕事や漁に出られないから、家に在宅しているいまが相談のチャンスだなとか。海鳥が鳴いているから夕方には天候が崩れて洗濯物は外に干せないなとか。その間も iTunes でサカナクションが、『ネイティブ・ダンサー』を唄っていた_







雨降って地固まるという言葉に在る通り、PC作業がつづく中_途中で何度も気絶したりと大変だったのですが_で古民家再生に向けた計画も前進することになった。ある日、村の老師の一人に僕が、「仮住まいの家での生活は落ち着いてきたけれど、古民家再生については遅々として進まない。」とこぼしたら、大工さんを紹介してくれたり水回りを担当する施行会社を見つけてきてくれた_



_僕のこぼした一言が目の前で村人に拡散してゆく様子は、本当に驚愕のスピードで小気味が良かったのですが、これは何かに似ているなって考えていたら。「そうだ、アウターネット(エクストラ・ネットワーク)に似ているんだ!」って思い出して、改めて村シィステムの凄さを感じました。ちょうどこの日からGWが始まって、高台の古民家の隣家では鯉も気持ち良く泳いでいました。




















「PANKICHIさんは東京を出て退路を断っているんだから、(ど)田舎でもっと頑張らないといけないんですよ。」って僕の周りで発破をかけてくれる_本当に有り難い話です、こんな僕に “アドヴァイス” くれるんだから_人びとも少なからずいるのですが、そう云われると反抗したくなるのが僕のネイチャーで。(ど)田舎にあるガレット屋でランチしたり(東京の店より全然美味しい)_


_「昼から当てっか?(実際は朝10時くらい...)」って優しい若大工に誘われて仮住まいの家の縁側で飲んだり(彼は元研究者でとてもインテリジェンスが高い)GW中はまったりして過ごしていました。元研究者の彼と畑に設置したバー・カウンターでよく冷えたビールを飲みながら、 “エントロピーの自由性” について語り合っていると。空気なんて読んじゃいけないなって思い直しました。






















東京を1ヶ月以上離れたこともなければ、車で峠を何度も攻めたこともなくて(おまけに「汲み取り式」のトイレで用を足したこともない)。それこそ毎日が人生初めてづくしの生活を送っているのですが、移住してきて早々に僕が発見したのは、「生きているっていうのは、まさにこういうことを云うんだよな。」って実感です。誰に何を云われようが、これだけははっきりと云えます。


「ここには “本当” がある。」_ 初夏の日差しを浴びながら草刈りをする僕は、この先の冒険に胸を躍らすのでした(このあと、市街に新しく出来た「AEON MALL」の駐車場で6時間くらい気絶することになるのですが......まあ、その辺はご愛嬌ということで)_ でもGW中に作った企画書が無事、採択されたら半年後は皆さんにもっと愉快な僕の《物語》シリーズをお送り出来ると思います。




[了]







《次回予告》


「ここには “本当” がある。」_ 絵描きPANKICHIが「シン・田舎暮らし」を始める中で新たな実感を深めたのも束の間、彼の下に東京から新たな “志士” が現れる。古民家再生のシナリオも劇的な展開を魅せる中、突如謎の女から「 “九州” に向かわない?」と誘いがくる。画業では、PANKICHIの新境地を顕す “立体作品” がついに完成するなど怒濤の展開!! 次回の冒険もワクワクを!!



次回「大分探訪♯0_湯屋千客万来篇(仮)」






《後日附記》


これを書いている途中、気分転換に何冊か本を読み終えたんだけれど。1冊は西尾維新氏の『傷物語(特装版)』ともう1冊は河合隼雄先生の『河合隼雄の幸福論』です。『傷物語』は東京で『河合〜』は松江で購入したのですが、二冊とも大変面白く読みました。この2ヶ月間はテレビもラジオも(場合によってはインターネットも)ない環境で過ごしていたので、それこそ吸血鬼が生き血を貪るように読んでいました。ご想像の通り僕は普段から読書って水を飲むようにしているのですが_


『娯楽』が全くない環境に身を置くと、読書ってこんなに面白いのかって発見がありました。とくに『傷物語』はライトノベルなのですが、前職が出版業だったので「ふん、ライトノベルなんざ文学とは呼べんさ。」なんて倦厭していたのですが(嫌なやつですよね......)。阿良々木暦(あららぎこよみ)という高校生の主人公がある日、美しい吸血鬼_キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード(長いですよねさすがに……)_を助けるために生き血を「吸わせて」吸血鬼となるのですが_


『傷物語』を読みながら暦少年が次第に人間の「常識」を捨てて、次第に吸血鬼の「常識」を受け入れてゆく様を読みながら。僕も実はこの田舎暮らし生活であの目を開けても閉じても同じくらい漆黒の『闇』を克服しまして......東京の「常識」を捨て去って田舎の「常識」を受け入れたということでしょうか? 僕はこのように読書によって自分をヴァージョン・アップさせてゆくという人間なので今後も、ライトノベルなり自己啓発本なり選り好みせずに読んでいきたいと思います。いまは『日本の家屋』という本を読んでいます。

















河合先生の『河合〜』は復刊本で旧作のタイトルはたしか、『しあわせ眼鏡』だったと思うのですが。読むのはこれが初めてです。僕は日頃からロールモデルについては公に知らせている方なんですが、ご存知の通り河合先生も僕の憧れのカッコイイ大人の一人です。残念ながらこの世にはいらっしゃいませんが、ことあるごとに河合先生の口調を真似て会話したり文章を書いたりしています(河合先生ごめんなさい……前職でお会いするかなと思っていましたが、ついに会えずじまいでした。←西尾維新氏とは仕事で会ったけれど)


『河合〜』の中で興味深かった項を紹介すると、「竜退治」の話を河合先生は持ち出すのですが、オーストリアの大公でフランツ・フェルディナンドが生きている間に30万頭の狩猟を行ったのを紹介しつつ、西洋では「竜退治」に挑んだ聖ジョージの伝説が受けが良いのですが。それは「竜」が自我を顕しその退治を「自我の確立」としていると説くんですね。その「竜」というのはここでは近しい女性(母親、妻、恋人など)を指すのですが、とにかく「自我の確立」を妨げる存在であるとそう仰っているわけです。


それで、先ほどのフェルディナンド大公の話に戻るのですが、彼の場合は狩猟が「竜退治」だったと解るわけですが。翻って現代の我々の中でもこの「竜退治」に挑んでいる人間(ひと)っていうのは実は少ないんじゃないかなって思っています。あるいは「竜退治」をしているのを見せるのを避けているように思えます。ちなみにこの「竜退治」の後、「自我の確立」した世界で孤立しないように美しい女性が現れるそうなのですが、さしずめ僕の周りで巫女的な女性がよく現れるのは「竜退治」をしょっちゅうしているからなんでしょうかね……


「じゃあ、その「竜」って誰なんですか?」ってことを問い合わせられても僕としては困っちゃうわけですが、その辺は河合先生に倣って「そら、わての口が裂けても云えやしまへん。」と答えておきます(そんなこと云えるわけないじゃないですか……)。でも僕の場合、ここのところ街角で待ち伏せしているみたいにその巫女的な女性が現れるから(ひょいって現れる)、ファミコンソフトの「ドラゴンバスター」みたいに(懐かしいですね……判るかしら?)何度も GAME OVER を繰り返しているんじゃないかって気がします……やれやれ、「竜退治」も大変なんだよな。