2014年12月24日水曜日

アメージング・イヤー、時空を超えてやってきた呪い、うずまき犬の唄

毎年、暮れの忙しい頃になると筆と葉書を引っ張り出してきて、ごそごそと年賀状を書き始めるのだけれど。今年はどういうわけかまだ一枚も書いていない。というか一枚も書く気が起こらない。困った、どうしてだろう?(全然困っている雰囲気が伝わってこないって云わないでくださいね) 理由は判っている、それは「今年、僕が誰とも会わずに一年を過ごした」からだ。前回のブログでも書いたけれど、今年、僕は「『仙人』みたいな生活をして」過ごした。仕事も辞めて関わっていたいくつかのコミュニティとも縁を絶って、ヒマラヤの高地で暮らす(存在自体が美しい)雪彪みたいに独り、『閑かな時間』を過ごした。日が昇ると簡単に朝食を食べて家の掃除をしたあと、生活に必要な物をチェックして(大した物ではない、レタスやお豆腐とかそういったものだ)、スイミングプールに通うような格好で近所まで出かけて買い物を済ましたり、気が向いたら駅前の本屋で新刊コーナーを覗いたりカフェで読書をしたりして過ごした。日が暮れる頃には犬の散歩をして手の込んでいないシンプルな夕食を作って独りで食べた。(僕は酒を嗜まないので)もちろんナイトライフ的なものもなく、読みかけの本のページを繰っているうちに眠くなるとさっさとベッドに入って寝てしまった_ そういう生活がほぼ毎日、規則正しくつづいた(たまに昼間に蕎麦屋に立ち寄ったりパン屋に寄ったりすることもあったけれど、基本的には外食はほとんどしなかったし食事そのものは家で簡単に作ることにしていた)。変わった事と云えば、巡ってゆく季節の花や鳥、風や月くらいだ(あと僕の体重が元通りに戻った)_ とにかくそんなわけで、今年お世話になった人がいないので「わざわざ年賀状を書くまでもないな」と思ったのだ。

もちろん、全く誰とも会わなかったわけでもない。少なからず、お世話になった人びともいることも確かだ。今年の始めは「絵本出版プロジェクト(クラウドファンディング篇)」で全国の人びとから多くの応援や声援をいただいたし(とくに九州地方の人びとには大変お世話になった)、僕の絵画作品を描き納めさせていただいたパトロンの方々には感謝の言葉を尽くしても足りないくらいだ。それと今秋は『田舎暮らし体験』で温かく迎え入れていただいた奥出雲町の方々や参加者にも頭が上がらない。あと、数少ない絵描き友だち(本当に数が少ない)やTwitterやfacebookをはじめとしたSNSで細々と僕の動向をフォローしてくださっている人びとにも最後にお礼を言わなくちゃいけない(こうやって思い出してみると結構、こんなへっぽこな僕でも「市井の人びと」に支えられているのが解るものですね。この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございます。ぺこり)_ それでも一貫して申し上げたいのは僕は今年、本当に誰とも会いたくなくなってしまったということです(仕事を辞めた急激な環境変化と、精神的なあるショックを受けたのが原因だと思う)。もう少し「突っ込んだ」言い方をすれば、「しごくまともな(丁寧で)『閑かな生活』を手に入れたかった」というのが本音です。この数年間、パートナーとの関係性の中で身を粉にして多忙な毎日を過ごしてきた僕にとっては、自分の『魂』が悲鳴を上げていたのを知っていましたが、それでも、家に僕が『戻り』さえすれば(それと温かい料理を作って待ってさえいれば)「平穏な生活」が送れると信じていました。 _残念ながらその仄かな松明(たいまつ)のような『希望』はそれ以上、大きな炎となる事はなかったのだけれど(結局のところ、僕が仕事を辞めて家に入っても彼女が「まともに」家に戻って来なければ意味がなくて。僕の作った温かい料理は完全に冷めてしまった。悲しい話だけれど)。とにかくまあ、今年は本当にアメージングな一年だった_

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年賀状で思い出した話があるのだけれど昔、正月年始を実家で過ごしていた頃(結婚する前の、今から14年くらい前の話だ。ちなみにこの話は別のところでも以前に書いた事があるので、すでに読んだことがある人がいたらどうぞ読み飛ばしてください。僕自身は結構、この話が好きなのだけれど)、TVプログラムを居間で愉しんでいたら突然、母親からこう云われた。「あなたから年賀状が届いているわよ」と_ それで僕は居間で寝転がりながら母親に差出人を訊いてみた。「誰から?」と。すると母親は間髪入れずにこう答えてきた。「だから、あなた宛に、あなたから、年賀状が、届いているわよ。」と_ わけがわからなかった。僕宛に、僕から年賀状が届いているって何だ?(断っておくけれど、年末に書いて余った葉書を使って、わざわざ自分宛に投函したりするほど、僕はそこまでロマンティックな人間ではない。) 寝正月を決め込もうとしていた僕はだるそうに居間を出て、台所にいる母親からその年賀状を受け取った。宛名を見ると確かに僕宛だった。差出人も確かめると僕の名前が書いてあった。ますますわけがわからなかった。それでも、葉書をよく見ると宛名と差出人の両方とも僕の名前が「平仮名」で書いてあった(しかもおぼつかない字で)。そこで突然、僕は身体に電流が走ったようにすべてを思い出す。「そうだ、確かにこの年賀状は僕が書いた。16年前に。」_ この年賀状を書いたのは1985年(当時9歳)、おそらく小学校4年生くらいの時だったと思う。学校のイベントで、郵政省が設置した「未来に向けて葉書が贈れる『ポストカプセル』(「つくば万博」開催を記念して設置されたものだと記憶している)」に全校生徒で行事参加したのだ。

当時のニュースによれば、21世紀の元旦に326万人の家庭にこの「未来(に向けて贈った)年賀状」が配達された。受け取った僕(当時25歳)としては、「へえ、こういうのってきちんと届くんだ(大した物だな、郵政省もなかなかやるじゃん)。」と照れくさいのを隠すような態度をとった。だってそう思いませんか? ガールフレンドや恋人からの手紙で、「あなたのこと嫌いじゃないのよ。でも何ていうかその…… 云々。」って書いてあるんだったら僕も、「ふうむ、そうか。嫌いじゃないのか……云々。」と反応が出来るけれど、相手が『過去の僕自身(それも「小学生」の僕だ)』ですよ、照れくさいし何だか妙な気分にもなりますよ。それでも、時空を超えてわざわざ僕の下にやって来たのだから、『過去の僕自身(小学生の僕)』にも紳士に接しなくてはいけない(つくづく優しい性格なんです)。じっくり読みましたよ、「未来年賀状」の中身を。オモテ面には宛名と差出人(僕の名前だ)が書かれており、ウラ面には当時得意だった授業科目(もちろん、「図工」だ)や好きなヒーローの名前が書いてあった。『過去の僕自身(小学生の僕)』とはいえ、もう少し気の利いたことを書いても良かろうにとがっくりきてしまった。でも、最後の「しょくぎょう」の項目の中にこう書いてあった。「本やさん」って_ おそらく、21世紀になった時に就いていたい「職業」についての質問項目だったのだろうけれど、「本やさん」って漢字くらいきちんと書けよと突っ込みを入れてしまった。それにご丁寧に「さん」まで付けてある(しつこいけれど、つくづく優しい性格なんです)。でもまあ、この「未来年賀状」を見たからというわけではないけれど、その後、僕は転職して何の因果か出版社に勤めることになった。そして、その数年後に(これも奇妙な巡り合わせで)都内某所に小さな「(絵)本やさん」を開くことにもなった。人生って、結構な確率で想う方向に向かうものですね。ドリーズムズ・カム・トゥルー。

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今年はとにかく、『閑かな生活』を手に入れて心ゆくまで過ごしてみたけれど。かといって、暇だったのかと訊かれたら実はそうでもない。むしろ、「しごくまともな(丁寧で)『閑かな生活』を手に入れる」というのは、どちらかというと規則正しさを守ろうとする観点で云えば、とても「集中力が求められる」ストイックな世界なのだ_ とりわけ気を配っていたのは、毎日の「食事を摂ること」と、適度に「情報を削ぐこと」だ。年始に実は酵素ダイエットというのを試して断食生活を数週間つづけた。お腹まわりに付いた脂肪を溶かして7kgの減量に成功した。そのあと、春頃から菜食中心の食生活に切り替えた(肉類はほとんど断った)_ 「オーガニックに生きる」ことをモットーに生活の質や過ごし方のスピードも調整していった。その結果、僕の体重は昨年の暮れと比べて20kgも減量した。文字通りするりと余分な脂肪が消え去って、代謝不全による身体のむくみも無くなった。それと同時に、過度な欲求(煩悩と云ってもいいかもしれない)も無くなった。以前は肉食中心だったので短期集中というか、エネルギーが切れるとイライラしたり怒りっぽかったけれど、食生活を改善してから性格も穏やかになった(元々、僕は温厚な性格の持ち主なのだ)。ストレス性の抜け毛も無くなり、毛髪量も増えたくらいだ(本当に)。そして以前より、世の中の『動向』に対して懐疑的になり不必要にコミットメントするのを避けるようになった。誤解してほしくないのは、僕は何も世捨て人のような存在になったわけではないということだ。選挙があればきちんと投票所まで出かけるし、気に入っている映画監督の新作が公開されれば劇場まで足を運ぶ。でもそれだけだ。それ以上、過度に<世界>にコミットメントしない。それがルールだ_

21世紀の現代社会を生きる人びとの共通の悩みはほとんど、「コミュニケーションにまつわること」に集約されると云っても大袈裟ではないだろう_ そのくらいほとんど毎日、皆んな何かしら自分と他人の間にある<コンテクストの壁>に頭を悩ませている。その原因の一つは、「情報の摂取量が過度になっている」からだと僕は密かに考えていて、今年は思い切ってその人間関係も『断捨離』させていただいたのだけれど、おかげですっきりとした生活を手に入れることが出来た。もちろん時々は人恋しくなることはあるけれど、そういう時は飼っている犬(老犬チワワ)と一緒に散歩することにしている。この犬とはかれこれ、もう9年くらいの付き合いになるけれど(一緒に暮らし始めたのは5年くらい前だ)正直なところ、こんなに長くこの犬と顔を付き合わすことになるとは思いも寄らなかった。彼女(雌犬です)もきっと、同じことを思っているだろう。「ふん、馬鹿みたい。それはこちらのセリフよ。それはそうと、さっさと散歩に連れて行きなさいよ。」_ 気持ちよく晴れた昼下がり。晩秋の銀杏並木の下、彼女と散歩していると何だか妙な気持ちになってくる。「一体、何だってこの僕が犬の散歩をしているんだ?」って(本当の飼い主よ、君はどこにいるんだ?)_ でもまあ、仕方がない。これも運命だ(ほとんど呪いに近い)。黙って黄色い絨毯の上を黙々と歩いていく。散歩から帰った後、彼女は水をたらふく飲んでリビングのソファで渦を巻くような格好で午睡をとる。その姿はまるでカタツムリのようだ。ほとんど身じろぎもせずにひっそりと眠る「うずまき犬」を眺めながら、僕は呟く。「うずまき犬よ、お前は世界を渦に巻き込まなかったのか?」_ 何だか唄の文句みたいに聞こえる。「うずまき犬よ、お前は世界を、渦に巻き込まなかったのか?」_



2014年12月12日金曜日

動く人、山の人、憂う人。

最近、料理や掃除をしたり家で過ごす時はクリスマスソングを好んでよく聴いている。ワム!の『ラスト・クリスマス』やホイト・アクストンの『ジョイ・トゥ・ザ・ワールド』など、この季節には欠かせないいわゆる定番と呼ばれているクリスマスソングたちだ。「いい年齢の大人がよりにもよってクリスマスソングだなんて馬鹿みたい。」と仰られる方もあるいはいるかもしれない。僕もそう思う。でもこれにはきちんと深い理由あるわけです。僕も何も好き好んで馬鹿みたいにクリスマスソングを一年中、聴いているわけではない。どちらかといえばこの手の曲は長年、敬遠してきたタイプの人間で出来れば聴きたくないと考えてきた。だってこの手の定番曲って馬鹿みたいに明るくて_必要以上にコーラスが大袈裟で_ロマンティックじゃあないですか、それに必ず曲の最後には天上から主(それは決まっていわゆるイエス・キリスト的な神様)が降りてきて物事は何もなかったように丸く解決しちゃう。そんなのどう考えたって馬鹿げているし本当の問題解決にはなっていない。それでも不思議とこの定番と呼ばれているクリスマスソングには妙な説得力がある。聴いているうちに「まあ、そういうこともあるよな。」と納得してしまう力を秘めている。これを僕は勝手に「天上から主」パワーソングと名付けている(断っておくけれど僕は生粋の無神論者_という表現も変なのだけれど_だし、何もイエス・キリストに喧嘩を売っているわけでもない。ただ、不思議とこの手の曲に対して昔から言い知れぬ畏敬の念を抱いているだけです)。要するに、クリスマスソングも悪くないよなって思うようになっただけです。年齢をとってそれなりに僕も丸くなったという言い方もあるけれど。

イエス・キリストのような絶対的な神様には変身出来なかったけれど、今年は方々で会う人びとが僕のことを指して「まるで『仙人』のようだ。」と言われまくった一年だった(と言っても積極的に人びとと会うことを止めた一年だったので、そう言われたのは数場面だけれど。それでも、彼らは異口同音にはっきりと『仙人』という単語を使って僕の存在を言い表した。これには僕も少なからず驚いてしまったのだけれど、後でよく考えてみれば「なるほど、あるいはそう言われても不思議ではないよな。」と納得する部分があった。これについては後ほどお話しします)。僕自身も意識したわけではないけれど自然とそういう「『仙人』的な生活や存在に傾倒していった一年だったな。」と後になって振り返ってみて気がつくことがあった。人びとがちょっと真似出来ないような習慣を取り入れたり、おいそれと築けないような環境に身を置いたりしてきたのだ。今だから告白するのだけれど(大それて言うようなことでもないのだけれど)、僕はそういった『仙人』的な生活や存在を長い間、強く求めてきたのだと思う。仕事も辞めて関わっていたいくつかのコミュニティと縁を絶って独り孤絶するような生活を必要としていたわけです。煩悩と呼ばれるものから遠く離れて自らの存在を『無常』に近いところにまで持っていくことが最優先事項としてプログラムされたと言ってもいいかもしれない。でも、一体どうしてそんな『仙人』的な生活や存在を追い求めることになったのか? それは、僕のこれまでの「働き方」と密接な関係がある。

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今年の1月末に僕は長年勤めていた出版社を辞めた。前々回のブログでも少し触れたけれど、去年のちょうど今頃、あるマラソン大会に出場して完走し切ったところで「そろそろ、こういう生活とも『卒業』しないとな。」と決意したわけである。その翌日、僕は会社に退職願いを提案したのだけれど周りから猛烈な反対に会った。直属の上司や同僚からは、「何もそこまで潔くすることはない。」と何度も思い留まるように説得をされた。僕の一つ年上の先輩からは、「そうは問屋がおろさない。」とまで言われた(その物言いもよく判らないのだけれど、彼は何かの冗談だろうといった具合に話を聞き入れてくれなかった)。それから数週間かけて、僕は会社にきちんと事情を説明した。先ず一つ目に、これまでの「移『動』しっぱなしの働き方」で身体に変調を来していることを伝えた(毎週、飛行機や列車に乗って全国各地を飛び回る不規則な生活によって、体重が著しく増加してしまった)。二つ目に、会社には内緒にしていたのだけれど自分のパートナーが運営している絵本屋のマネージメントを数年間、協力していて余暇を持つことが出来ずにいること。加えて、そこから派生するかたちで生を授かり絵を描く人間として作家活動を行っていることなど(二つ目の事項については会社も以前から察知していて、実のところ僕は長い間、「マークされ」ていたわけです。この辺の事情については僕のTwitterフォロワーの皆さんはすでに周知していると思いますが、コンプライアンスに抵触しないよう僕自身も絵本屋の仕事については過去数年感、無給で勤しんでいました。要するに僕が闘っていた相手というのは、他ならぬシステム(=組織)そのものだったわけです)。

ご存知のない方に補足しておくと、出版社という「旧メディア」はとても閉鎖的なソサエティです。世間で云うとどちらかといえば右寄りの傾向が強くて、昨今の出版物の内容においては保守的な傾向がつづいているような気がします。某大手出版社を辞めて「ノマド・ワーカー」として注目を浴びた女性がいますが、彼女の言葉を借りるならば「オールド・ボーイたちがすべての実権を握ってしまっていて、まともな出版物を作ろうにも提案する機会すら与えられない。」というのが実情です。そういうクローズド・ソサエティの中で才能のある若い出版人たちは疲弊してしまっています。本が売れない・詰まらないのは、そうした一部のオールド・ボーイたちの既得権益を守ろうする意識とリンクしていると個人的には思っています(一昔前はそうじゃなかった。書物はきちんと書物として「全うな所作」を持っていたような気がします。少なくとも前世紀までは)。とにかく、数週間は周りの説得がつづいたのだけれど、その理由というのがやはり僕の代わりになる人間が居なかったことが背景にあったので(実のところ、僕は入社して以来、首を切られないように他の人がやりたがならないような仕事を嫌な顔もせず黙々と引き受けてきた。わがままな作家たちの面倒を見たり、他部署とのリレーションや他メディア_テレビ・ラジオ局や新聞社だ_との交流役を買って出るなど。要するに、使い勝手が良かったのだ)、代理となる人間を社内で探してきて彼に仕事を引き継いでもらうことになった(引き継ぎの途中で彼は悲鳴を上げて大変だったけれど)。

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なんとかかんとか出版社を『卒業』したのは良かったのだけれど、もう一つケリを付けておかねばならないことが残っていた。絵本屋のマネージメントの仕事である。その頃、僕が協力していた絵本屋では2つの大きな絵本出版プロジェクトが立ち上がっていて、刊行に向けてスケジュールが進行していた。1つは絵本屋にとって看板的な存在である絵本作家の新作で、もう1つはクラウドファンディングを利用した新人作家の絵本(2冊)だ。本当のことを云うと、僕はこの2つの絵本出版プロジェクトを何としても成功させたかった。というのも、看板的な存在である絵本作家の新作は、シリーズの完結編として刊行すれば一区切りつくタイミングだったからだ。絵本屋と共に成長してきた作家だったから、前作を超えるような作品を作ってあげたいと個人的に思っていた(この絵本は今春、無事に刊行されて前作を超えるような素敵な作品に仕上がりました)。また、新人作家の絵本はマス・マーケティングを敬遠して、クラウドファンディングという新しいプロダクト手法を取り入れていたので、製品のクオリティにも十分な注意を払う作業があったり、何より民意のデリケートなケアが必要だった(この絵本は無事に資金調達に成功して今夏、2冊同時刊行することが出来ました)_ これらのプロジェクトを成功に導くには、全力で立ち向かわねば中途半端な結果しか残らないと肌で感じていたので、僕は勤めていた会社を辞めて彼らのその、『美しい夢』を叶えようと決意したわけです。

そもそも僕が「何故、絵本屋の手伝いをするようになったのか?」_ もう少し突き詰めるとそもそも僕(ら)が「何故、絵本屋を開くことになったのか?」_ そういう疑問や質問を投げかけてくる人は少ないのだけれど良い機会なのでお答えしておくと、これはもう「運命みたいなものです。」と言うほかない(ある日、突然、「絵本屋を開くから。」とパートナーから報告があった)。今からちょうど4年前のクリスマスを目前に控えた頃に絵本屋は都内某所で誕生したのだけれど、最初はスタッフも居なかったし、肝心な商品(絵本)も調達出来ないという状況だった。仕方がないから店番を自分たちでしたり、絵本も僕のコネクションで仕入れたりしていた。最初はおっかながって入店するのを躊躇っていたお客様も多かったのだけれど(だって2坪しかないんだもの、お店というよりほとんど小屋に近い)、そのうち名前を覚えてもらってお店に遊びに来てくれるお客様が増えてきた。地元の街の商店主たちとも仲良くなって、店の紹介をしてくれるようになった。小さな絵本屋だったけれどその分、遊びに来てくれた人が喜んでくれるようなサーヴィスでもてなしたり、大小のイベントを積極的に行った。その結果、いまは(僕より遥かに)優秀なスタッフも集まったし、不思議なご縁で知り合った絵本や創作作家たちの作品が揃うお店になった。「インディーズ絵本」という新しいジャンルの開拓にも貢献することが出来た(その軌跡は敢えて説明しません)。いま思い返すとそれは、一つの『冒険』そのものだった。

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2つの絵本出版プロジェクトが軌道に乗って、あとは刊行を待つばかりとなった4月末に僕はまるで照明の電気のスイッチを切ったみたいに、ある日突然やる気が起こらなくなってしまった。パチン、OFF。そんな感じで_ 最初は自分の身に何が起こっているのかよく判らなかったのだけれど、どうも心が折れてしまったらしく(他人事みたいな物言いですが、実際に他人の身に起こったような出来事だった)、「協力」と呼ばれる一切の活動に嫌悪感を抱くようになってしまった。わかりやすく言えば、「心変わり」である(あとで判ったことだけれど、この出来事は偶然に起こったことではなくて、どうも「心身の変化」と関係していたと気がつきました。その頃、僕はあるきっかけで食生活の改善として「オーガニック」に傾倒していました。その過程で起こる注意点として、「心のデトックス」も行われることがあり、一時期においては心のバランスが崩れることがあるとされていたのです)。詳しく調べていくと、正確には僕の『魂』に関係している症状でどうも、「重たくなった心に『魂』が潰されてしまっている」ことが判ってきました。要するに、パックマンみたいに「好き」と思ってパクパクと食べてきた心の体重が増え過ぎて、本来その下で支えてきた『魂』が支えきれなくなってしまったのです(ここで言う「好き」と思ってきたモノは前述の「協力」活動のことを指しているのだと思います)。それで、僕は悩んだのだけれど思い切ってすべての「協力」活動を止めることにしました。

その「決断」は(数少ない)何人かの仲間やコミュニティのメンバーに暗い影を落としたことは知っています(今でも申し訳ない気持ちでいますが、ここで僕がその事について謝っても仕方がないということも知っています)。人生というのは、「七転び八起き」で転ぶ度に周りに心配をかけたりするのだけれど、また起き上がって周りを喜ばすことが出来ると信じています(そうでなければ、僕たちの人生は何のために存在するのだろう)。でも、僕は「これで良かったんだ。」と今では思っています。僕はどこかで絵本屋やそれにまつわる、「協力」活動から身を引こうと考えていたし、このようなかたちで『卒業』することにはなったけれど、その事で誰も僕のことを非難したり文句を言う人が現れなかった(もちろん、残念に思っている人びとがいることは知っている)。その事実は、この数年間、僕が一所懸命に『冒険』してきたことを讃えてくれている証明なんだと前向きに捉えています。また、僕が絵本屋を開く手伝いをして協力してきた本当の理由は、夫婦間における「エロス(=興味・対象)の共有」だったのです(当時、夫婦で共通の価値観を共有しなくてはならない深刻な事情があった)。でも、とにかく僕は「絵本をめぐる『冒険』」を終えてボロボロになってしまった_ それと同時に、もう一つの「個人」活動として(パトロンに)頼まれて絵を描いていたので、迷惑をかけてはいけないと大判・小判の絵をいくつか描き終えて「『魂』のためのサバティカル(長期休暇)」を取ることにした。

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「ワーク・ライフバランス」の提唱者、ナイジェル・マーシュはTEDで披露したスピーチでこう云っています。「生活の本質を、決して営利企業の手に委ねてはならない。企業に限った話だけでなく、「魂の『食肉処理場』(=全ての商いを営む活動場)」についてです。」_ このスピーチをTVプログラムで観たのは昨年の夏だったと記憶しているけれど、以来僕は折に触れて彼の言葉を思い出してきた。マーシュも僕と同じように多忙な生活を送ってきてある日、仕事を辞めて家庭に入ることを決意する。それで彼は先ず、家族のための時間を持って、とくに子どもと一緒に過ごすことを優先する。ある日、子どもからこう云われる。「パパ、今日は僕が生きてきた中で一番楽しかったよ。」と_ 僕はこのエピソードが何よりも好きだ。僕にはまだ子どもが居ないけれど、マーシュがこの時、実感したであろう感動を共有することが出来る。彼が云う、「魂の『食肉処理場』」は現代を生きる人びとの周りには、いたるところに出現している。学校や職場、リアルとバーチャルなコミュニティの中に(付け加えれば、自分自身の中にも)。僕自身も気がつかないところで、この数年間、『魂』がバラバラに断裁されてミンチ状になっていたのかもしれない。では、そうした悪しき諸行から逃れるにはどうしたら良いのかというと、これはマーシュがそうしたように『魂』が望む場所に移るほかない。彼の場合は、その場所が家庭だった。僕の場合は閑かな場所、そう、たとえば「ヒマラヤのような高い『山』」の中だった。

そういうわけで、僕はこの夏、ヒマラヤの高地で閑かに暮らしていた(もちろん、比喩的な意味でだけれど)。ベン・スティラー主演の映画『LIFE!』の中に登場した、ヒマラヤの高地に生息する雪彪のように存在自体美しい生き物に変身して毎日、飽きもせず大自然の景色を眺めていた。具体的な事はあまり云えないのだけれど、縁が合ってこの夏は、自宅と某美術館を往復する生活をしていた(美術館のまわりには美しい自然が溢れていた)。そこで、僕はモネの《睡蓮》やムンクの《夏の夜の夢(声)》を眺めながら『魂』の復活儀式を行っていた_ この数年間、「ファンタジー(・エデン)漬け」になっていた僕は、いつの間にか、自分の意に反する『美』を吸収しつづけていたようで、人間(=煩悩)という存在を一度捨て去って、自らの存在自体が美しい雪彪に変身することで、本来の自分らしさを取り戻す作業をただひたすら行ったわけです。僕は何も他の『美』を認めないと言っているわけではなくて、あくまで個人的嗜好としての『美』をこの数年間で磨り減らしてきてしまった。それは、等価交換のようなもので良い刺激でもあったけれど、それと同時に身体の組成を丸ごと取り替えられているような大手術だったわけです。僕がとりもなおさず、この数年間、追い求めてきたのは「失われた身体性」「損なわれた精神性」をもう一度、取り返すことだったのです(それを奪った犯人を特定することは、ここでは大きな問題ではありません)。僕は僕自身から「今日は人生で一番美しかったよ。」と聞きたかったのです。

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「『仙人』的な生活や存在」を意識することで僕の『魂』はようやく正常な大きさに戻ることになった(実際のところ僕の『魂』は心を支えられずに、無惨なかたちにぺしゃんこになって萎びていた)。半年間もかかった_ 長くもないけれど短くもない。僕の場合は、そのくらいの時間がかかったというだけだ。それでも、その間、僕は美しい自然や名画や女性に巡り会った(その女性とは恋に落ちて…… というのは真っ赤な嘘です。ごめんなさい)。それで解ったことは、「ああ、僕はこの半年間、『動』く人(=働く)を止めて『山』の人(=仙人)になっていたのだなあ。」ということです。それでいまは、どんな人になっているのかというと僕の名前にある通り「『憂』う人(=優し)」という状態です(実際、本来の僕は世を「憂う」傾向があります。それは決してネガティブに物事を捉える見方ではなくて、対象については温かい視線を注ぐ見方という意味です。でも勘違いしてほしくないのは、「優しさ」というのは単に「甘やかす」「擁護する」というものではありません。場合によっては、「促したり(ファシリテート)」「指摘する」という意味を含んでいます。自分の名前はそう簡単に変えられませんが、僕はその事に気がついてからは結構、自分の名前が好きになりました(それまではあまり、好きになれなかった)。そう考えると、僕の名字も含蓄があります。「(深い)石の井戸」ってこれはもう_ 何て言うかほとんど呪いみたいな名前です(深い井戸の底で世を憂うだなんて、まるで某小説の主人公みたいじゃあないですか。わかるかな?)笑

それで、やはりいまもカフェでクリスマスソングを聴きながらこのブログの原稿を書いている、パタパタパタパタ_ ジョン・レノン&オノ・ヨーコが『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』[Happy Xmas(War Is Over)]を唄っているのを聴いていると、「うん、そうだよな。たしかに戦争は終ったよ、実にたしかに」って実感する。ウォー・イーズ・オーバー。 今年もあと3週間ほどで終ってしまうけれど、不思議と後悔はなくてむしろ、清々しさすら感じている。今秋は呼ばれた気がしたので、島根県の奥出雲を訪れたのだけれど(美しい夕日が印象的な場所だった)、来年は日本を飛び出るような予感がしている。いまのところは白紙の状態だけれど、計画を組むためのリサーチを行っている最中で、東南アジアに出かけるかもしれません。その後は(うまく計画が組めれば)、米国の某州に足を運ぼうと考えている。もちろん、計画が頓挫すれば日本に留まるけれど、でもどうなんだろう? 『天上から主』パワーソングみたいに、物事がすべて丸く解決しちゃうみたいなことが起きたら、人生はそれはそれで詰まらないのかもしれませんね。一年の最後にこうして馬鹿みたいなクリスマスソングを聴くくらいの方がちょうど良いのかもしれない。だってほら、人生のシビアさも味わえないじゃあないですか、一年中、ワム!の『ラスト・クリスマス』が流れていたら。笑 来年の、「ワクワクをめぐる冒険」を楽しみにしていてください。それにしても、本当にクリスマスソングって妙な説得力がありますよね。




















































2014年11月24日月曜日

『インターステラー』で超えたかったもの。

長い人生の中で、紆余曲折を経て生きていると、「このお店は自分にとって居心地が良いな」「この食材は自分の身体と相性が良いな」_ そういうことが自然と解ってきます。これは数々の失敗を重ねながら、経験値として身についてくる「個人的な資質」のようなものです。そのような「個人的な資質」を裏づけている価値観とは、対象について全幅の信頼を置くことが出来るかどうかだと思います。要するに、「この人の云っていることは信用しても良いかな」という安心感です。対象が人物の場合、僕は高城剛氏の未来にまつわる予言を参考にしています。それが作品の場合、僕は村上春樹氏の紡ぎ出す小説を積極的に読み込んでいます。

同じ理由で作品が公開されるとすぐに、わざわざ劇場まで出かけて観に行く映画監督がいます。クリストファー・ノーランがその一人です。つい先日も、彼の最新作『インターステラー』が公開されたのでネットで事前に良い席をシート・リザーブして(映画鑑賞する時は余計な心配をしたくない性格なので)、都内の劇場に足を運びました。ちょうど連休の中日ということもあって場内はとても混んでいたのだけれど、僕ら(僕とパートナーだ)はスマートにチケット発券を行い、上映時間前に所定の席に座ってスクリーンを目の前にしていました(ここがポイントなのだけれど、「個人的な資質」を維持するのにはそれ相応なりの集中力が必要になってくる)。

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それで、いざ映画鑑賞に臨んだのは良いのだけれど、物語の[前半]は長々とある一家の生活が描かれているだけで一向にSF映像が出てこない_ まだ、この作品を観ていない方にかいつまんであらすじを申し上げておくと、劇的な環境変化によって砂埃が吹き荒れ、農作物は枯渇し、深刻な食糧不足に見舞われた近未来の地球が舞台となっている設定で、地球の寿命が尽きかけようとする中、アメリカの田舎町で暮らすある一家(父、娘、息子 etc.)の家で不可解な現象が起きるところから物語は始まります。マシュー・マコノヒー演じる主人公の父親(クーパー)が元パイロットで、地球の存亡を懸けて宇宙の果てにある新天地を探すという内容なんだけれど。

ノーラン作品の信者の僕としては、余計な予備知識を持たずに鑑賞に臨んだのだけれど(予告編だけは見た)。アメリカの片田舎で暮らす一家のシーンが長々と続いて正直、「おい、そろそろ宇宙船とか出てこないと不味いだろう。さっきから、ずっとコーン畑ばかり映っているだけだぜ。」と心配になってきた。あとで調べて判ったのだけれど、この作品は上映時間が169分もあって「尺的」には十分余裕があったらしい。でも、予告編で美しい宇宙空間が映っているのを確かめていた僕としては、まさか「牧歌的な一家の生活」を眺める羽目になるとは想像してもいなかった(でも、実はこの「牧歌的な一家の生活」が物語の『肝』になってくるわけです)。

そして、物語の[後半]になってようやく宇宙船や美しい宇宙空間が登場するわけですが、[前半]のカントリー・タイムが長く感じられたのとは反比例するように、[後半]のギャラクシー・タイムは物語の進み方が早く感じられるのです。「早く感じられる」という表現はちょっと違うかもしれない。正確には、「時間の在り方そのものが揺らいでくる」と云った方が良いかもしれない。主人公(クーパー)たちが、「恒星間航行(インターステラー)」する為にワームホールと呼ばれる「時空の穴」を利用して光速で移動したように、この物語の進行スピードが加速度的にアップしているように感じられて(僕はこの辺の演出がノーラン作品の妙だと思う)。

そして物語の[後半]から、その驚異的な展開に文字通り僕は開いた口が塞がらなくなり、クライマックス間際には自然と身体が震え出し、無意識のうちに両手で顔を覆って泣き始めていました。クライマックス間際で知ったある『新事実』の映像に僕はもう翻弄されてしまったのです。こういう事を書くと、大袈裟だなとか思われそうだけれどその瞬間、僕は「神」に出会ったもしくは、限りなく近づいたような感覚の中にいました。宗教的な、いわゆる俗世の「神(=教祖)」ではなくて、純粋な意味での「神(=万物の創始者)」です。映画を観ながら身体が自然に反応して号泣するなんて、後にも先にもこれが生まれて初めての体験でした(いや、本当の話)。

作品の内容を語り過ぎるといわゆる、「ネタばらし」になってしまうので控えるけれど。物語の設定や整合性を保つ為、この作品では製作総指揮に理論物理学者のキップ・ソーン博士を招いているのだけれど(ソーン博士の名前は以前に観た映画『コンタクト』(ジョディ・フォスター主演のSF映画ね)で知っていた。彼はこの映画の中でも理論物理学の観点から相談役として協力していた)。その効果もあってアインシュタインの「相対性理論」に対する落としどころが絶妙のアクセントになっています。たとえば、「恒星間航行(インターステラー)」をするとパイロットの時間の進み方は遅くなり、地球で過ごしている人びとと年齢差が生じてしまう場面を作ったりしているところとか。

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それで、ここからがこのエッセイの『肝』なんだけれど(何とかかんとか、僕も「伏線」を張りながら物を書いているわけですが)、クリストファー・ノーラン監督はこの作品で「(映画としての)『娯楽の枠組み』を超えてしまったのではないか?」_ というのが僕の見解です。それは、主人公(クーパー)たちがワームホールを利用して前人未到の別銀河系に到達したように、ノーラン監督はこの作品を通じて「恒星間航行(インターステラー)」を目指したのではないかというのが僕の仮説です。今や瀕死の状態にあるハリウッド映画界を救うため、「(映画界のための)新しいフロンティア(新天地)を見つけたよ」と知らせているように感じたわけです。

高城剛氏は、生きた情報の取得方法として「ネットやSNSから離れよ、足を使ってその目で見よ」と説きます。村上春樹氏は、個人がシィステムに対抗する手段として「物語という乗り物」を作品を通じて提供しています。ノーラン監督は、我々が直面している様々な困窮を解決する装置として「冒険に出よ、そしてその道しるべは我々の身の内にある『愛』(今作をご覧になった方ならばもうお解りですね)が指し示してくれる」と語りかけているわけです_ 冒頭で述べたように、「この人の云っていることは信用しても良いかな」と思ってくれる人が少しでもいたら、週末に大切な人を誘って劇場に足を運んでみてはいががでしょうか? もちろん、チケット・リザーブすることはお忘れなく。

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後述付記

この映画を観終えた後に、ノーラン監督のインタビュー記事や出演者や製作陣たちの証言を読んで、いろいろ調べてみたのだけれど。ノーラン監督は撮影テイク数が極端に少ないらしく、『インターステラー』も驚異的なスピードで制作が進んでいったようです。僕はこの事実を知って、「ああ、だから不思議と鑑賞者の心と共振するのだな。」と確信しました。また、ご存知の方も多いと思いますが、ノーラン監督はほとんどCGに頼らず実写で撮影を行うことで有名です。今回も、宇宙船は実物大で作ったり新天地の惑星シーンもオールロケで制作されています。そうすることで、画面に《説得力》を与えているのです。ここで勘違いしないでほしいのが、「決してリアリティーを求めているのではない」ということなんです。通常、画面に《リアリティー》を追求しようとすれば、『ゼロ・グラビティ』のようなCGを用いればいいだけの話です(あの作品も別の観点から云えば、トンデモく出来栄えの良い映画でしたね)。でも、ノーラン監督は全く違う。とにかくパッパッと撮っていく、それでその素材は全て手作りしてゆく。表現は悪いけれど俳優の演技もセットも画面も、よく見ればまだ「荒削り」なんですね。でも、それが何故か我々、鑑賞者には受けている。どうしてだろう?

要するに、これは「揺らぎの一種」なんだと僕は思います。小説のジャンルで云えば、いわゆる「純文学」に当たるわけです。つまり、ハリウッドのCG映画に比べれば「エンターテイメントしていない」けれど、しっかり「純文学」しているわけです。ばっちり作り込まれたハリウッドのCG映画よりも、ノーラン監督の手作り映画の方が「ヒューマニズム」を感じるということなんでしょう_    数年前に宮崎駿監督が、『「神経症の時代」におくる映画(崖の上のやつです)』を作りましたがあの時もやはり、CG制作は控えてほとんど手描きで作品を仕上げました。要するに、我々の感受性というのは人間が感知出来る範囲まで、つまり身体性の限界の中までで。その範囲を超えると「味気ない」のだなあということなんですね。僕は実はそのことに数年前から気がついていて、実は絵を描くことについては「アナログ絵画」にこだわっています。ディジタル絵画が「味気ない」と言っているわけではありません、ただアナログ絵画には鑑賞者の心の共振を起こすパワーが秘めらていると信じているだけです。『インターステラー』っていう映画は、そういう意味で僕にとっては親和性の高い作品なんです。勇気づけられると云っても良いかもしれない。まあ、マイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』シリーズも好きですけれどね。




2014年11月16日日曜日

21世紀の「乗り物」たちについて

先日、生まれて初めて「カーシェアリング」を利用して都内を運転してみたのだけれど、久しぶりにクルマを運転したこともあってなかなか有意義な時間を過ごした。我が家はいわゆる「自家用車」を所有していないので、クルマでどこかへ出かけようとする時は駅前でレンタカーを借りるかもしくは、隣町に住んでいる僕の両親に頼んで彼らが所有している「顔つきの悪いクルマ」(本当に悪者っぽい)を借りることになる。別の隣町に住んでいる弟夫婦も僕らと同じように、実家のその「顔つきの悪いクルマ」を借りているらしく時々、両親から「悪いわね、すでに先約が入っているわよ。」とぶっきらぼうに断られることがある。要するに、家族間で1台のクルマを「カーシェアリング」しているのだ。

「自家用車」を所有こそしていないけれど、僕の運転歴はそこそこ長くて実は20年のベテランドライバーである。ほとんど都内を中心に走っているだけだけれど、初めて行く場所でもカーナビゲーションなんかに頼らず大体は目的地に辿り着ける(逆に郊外は苦手だったりする)。渋谷駅前の坂道を下りながら渋滞で道が混雑していても、「あと10分くらいで紀尾井町にある本屋に到着できるな。」「青山界隈を寄り道して街の様子も少し眺めてみよう。」_ シグナルランプに気を配りながら、小気味よくステアリングを切っているとアーバン・ドライバーとしての血が沸々としてくる。浮世離れした生活をつづけている僕だけれど、車窓に映る街の景色を眺めていればその時代の大抵のことは解る。

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乗り物で思い出したけれど先月末、イギリスの富豪でリチャード・ブラウン氏が率いる宇宙旅行会社「ヴァージン・ギャラクッティック」の宇宙旅客機がテスト飛行中にトラブルを起こして墜落したニュースを耳にした。墜落した宇宙旅客機「スペースシップ・ツー」は乗客を地上約100kmまで輸送して、数分間の無重力体験をする「宇宙旅行」が売り物で早ければ来年から就航が予定されていたけれど、今回の事故を受けてスケジュールの変更を余儀なくされそうである。人類史上初の「宇宙旅行」実現にはまだまだ課題がありそうだけれど、ちなみにこの「宇宙旅行」にかかる費用は25万米ドル(約2,500万円)で滞在時間は4分間、日本からも数十名のエントリーがあり僕もこの旅行には高い関心を寄せている。

宇宙旅客機はまだ乗ったことはないけれど、従来の航空機なら何度もお世話になってきた。僕の周りではご存知の方も多いと思うけれど、以前に勤めていた出版社では仕事の関係でそれこそ毎月全国各地を飛び回ってきた。忙しない時は毎週羽田空港に通っていた時期もあるけれど、乗り物として心地良いなと思ったことは一度もない。その代わり、僕は飛行機での移動時間を「瞑想する」のによく当てていた。ちょうど昨年の今頃も、札幌で仕事を済ませたあとその足で千歳空港に向かい、羽田空港行きの航空機に搭乗して東北地方の上空を飛びながら、翌日に参加を控えたマラソン大会のことを考えていた。他の乗客が機内サーヴィスを受ける中、アイマスクを付けてイメージトレーニングを重ねていた。

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考えてみたらこの10年間、ほとんど移動しっぱなしの人生を歩んできた。もともと出不精な性格の持ち主だったので勤める会社も人事異動などで全国にある支店に転勤が発生しない職場を慎重に選んできた(これについては東京生まれの東京育ちの方なら少しは理解してもらえるかもしれないけれど、生粋の都市生まれ・暮らしの人間にはどうも「別の場所で暮らしてみよう」という考えがすっぽりと抜け落ちてしまう傾向があるみたいです)。でも、ふと気がついたらどういうわけか人一倍移動しつづける人生に浸かっていた。都内にある出版社に勤めているのに僕だけが会社の中で「不在」にしていることが多かった。会社を辞める直前に計算してみたら今までの総移動距離は15万km(地球3周半)に達していた。

移動する交通手段は前述の航空機もその一つだけれど、同じくらい利用してきた乗り物はやはり列車で新幹線はあらゆるタイプを乗ってきた(その中でも九州新幹線の「つばめ」は車内装飾が和風モダンで記憶に鮮やかに残っている)。もちろん、それだけでなく乗り継ぎで利用してきた全国各地のローカル列車も数えきれない。僕は世の中で云うところの「鉄道オタク」ではないのだけれど、ローカル列車一台とってもそこにはその土地の哲学が反映された乗り物なのだなと感動することが何度かあった。そういう意味では、僕は航空機よりも列車で移動する方が実は好きだったのかもしれない(それを裏づける理由になるかどうかわからないけれど、列車で移動している時はよく新しいアイディアが浮かんできた)。

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僕たちに正確な未来予想を求めるのは難しいけれど時代の反映に合わせてこの先、便利で快適な乗り物が登場することだけは誰もが想像つくだろう。その中でも、未来の代表的な乗り物として挙げられるのが2027年に開業を予定している「リニアモーターカー」だ。最速時速500km台で東京〜名古屋を最短40分で結ぶというのだから驚くばかりである。たとえば、ガールフレンドと代官山で食事して別れたあと、1時間後には別の友人と栄で手羽先を肴に飲んでいるなんてことも当たり前になってくる。この感覚はもはや、「どこでもドア」に近いのではないかと思う。でも、そういう四次元ポケットから出てくる「未来アイテム的な感覚」がすぐ目の前までやってきているのも夢物語でなく現実だったりする。

最終的に時速500kmとか600kmの乗り物から眺める「『世界の車窓』の景色は何色だろう?」か。その爆発的な速度の中で人びとはどのような新しいアイディアを思いつくのだろう? もしかしたら、一切何も思いつかないのかもしれない。圧倒的な移動感覚に人びとは痺れて、我を忘れてしまうかもしれない。そうなった時、「哲学のあるローカル列車」が逆襲できるだけの体力を残しているかはまったくもってわからない。「ファスト・ヴィークル(乗り物)」が増えつづけた結果、僕たちは何を得て失うのかもう一度考えてみてほしい_ 目下、僕の最良の移動手段は「自転車」である。雨降りを除いて毎日仕事場を行き来するのに不自由はないし、何より「自転車」は今のところ「21世紀の最高の『瞑想マシン』」なのだ。

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後述付記

「乗り物」について一つ物を書いてみようと思ったのは冒頭でも触れましたが、久しぶりにクルマを運転したのがきっかけだったのだけれど、実際のところは「ほとんど移動しっぱなしの人生」から距離を置いてゆっくりと物を考えられるようになるまで、このくらいの時間(半年間)がかかったというのが事実です。僕にとって移動そのものが日常であって、移動していないことは非日常だったわけです。そう思っていたら、前述の東北地方の上空を飛んでいる時にふと「そろそろ、こういう生活とも片を付けないとな。」と感じたわけです。その翌日、僕はマラソン大会で完走できたら会社を辞めようと心に決めて走りました。そして、さらにその翌日には、辞職願いを会社に提出していました。

これも実際に計算してみて判ったことなのですが通常、都内の会社で働く勤め人が毎月20〜23日くらい職場のデスクに向かうのに対して、僕の場合は毎月10〜12日くらいしか会社に居なかったわけです。これは要するに何を意味しているのかというと、自分の所属しているパラダイムにコミットする時間が極端に少なかったわけです。必然的に別のパラダイム(当時、マネージメントの協力をしていた絵本屋がそれに当たる)に関わる時間が相対的に増えていきました。この話については後日、改めて「働き方」をテーマにまとめてみたいと思っています。とにかく、僕にとって「乗り物」(=移動)というのは「物を考えるための手段」だったということが少しは解ってもらえたかと思います。

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それと極めて個人的な所感なのでここでは書くまいと思っていたのだけれど、やはり思い直して告白しておくと僕は個人的には今後も「自家用車」を率先して所有することはおそらくないと思う。話すと長くなるので詳細は割愛するけれど、数年前に偶然、他人が起こした自動車事故に遭遇したことあって、下敷きになった子どもを救出したことがあった。目の前で起きた交通事故だったから心的ストレスは大きくて、それ以降、僕は「クルマを取り巻く社会」と関わりを持つのを遠ざけるようになってしまった。もちろん、クルマそのものやドライブすることは今でも好きだけれど、都市環境のことを考えると僕はこの先、水上バスや自転車といったエコロジカルな「スロー・ヴィークル」を推薦していきたい。

そして、最後に付け加えさせてもらえるならば、「乗り物」は何もカタチが無くても良いと僕は思っています。たとえば『物語り』という名の「乗り物」は、僕たちを別の場所へと運んでくれます。スタティック(静的)なエゴを『物語り』という名の「乗り物」に沈めることによって、A地点からB地点というポイントまでスムースに運んでくれるわけです。僕はこのカタチの無い「乗り物」を「サイレント・ヴィークル」と名付けていますが、これが21世紀の真の「乗り物」だと確信しています。『物語り』のモーメントは地味だけれど、一度身を預けてしまえば自動的に目的地まで引っ張ってくれる力強さを持っています。その力強さは宇宙旅客機よりもクールでリニアよりも新感覚に富んでいるかもしれません。





2014年10月29日水曜日

本をめぐる冒険。[ 2014.10 ]

奥出雲での「田舎暮らし体験」を終えたあとすぐに、偶然出会った本が『ヤナの森の生活 ハワイ島の大地に生きる』です。本書はフランス・パリ生まれのヤナという女性の、ハワイ島はプナ地区のジャングルでの移住生活を詳細に紹介しています。プナ地区はハワイにおけるヒッピー文化の中心地で、「グリーンムーブメント(農業回帰)」の発祥の地とされています。彼女が暮らす ジャングルの森はその昔、彼女自身がキラウエア火山の麓の溶岩台地に1本ずつ植林して作っていったものです。プナ地区にはさまざまなエコビレッジが点在するユニークな場所で、温かい人柄と深い知恵をもつ彼女はそこで、「長老的な存在」としてまわりの仲間たちから尊敬されています。


本書では、ヤナが移住生活を送っている色彩豊かなジャングルの様子、タープだけを張った床も壁もドアもない住居、彼女と一緒に暮らしている末娘や森の仲間たちとの交流を紹介しています。今月、僕が訪れた奥出雲の古民家で見た囲炉裏が彼女の住居にもあります。囲炉裏は古民家と同じように、やはり住居の中心にあって、「ファイヤープレイス」と呼んでいます。『サスティナブルな生活』を送るため、日々の暮らしの中で彼女は実に創意工夫を凝らしています。たとえば、料理や食事で出た生ゴミも一切無駄にせず森の植生にリンクするようにコンポスト化しています。日常生活で使うテーブルや椅子や食器棚などすべての家具調度品は彼女の手作りです。


のちほど紹介する、イハレアカラ・ヒューレン博士の本に合わせて少し触れていますが、僕はハワイの文化や風土、物の考え方に心が惹かれるところがあります。これまで何度かハワイを訪れていますが(オアフ島のみですが)、恵まれた自然がたくさんあって人間と共存するのに最適なバランスが整っている「ヒーリングアイランド」だと感じています。ヤナの暮らしぶりと同じように、ハワイを訪れると自然と目覚めがよくなります。朝食でたっぷりのフルーツをいただきながら、昼間はサーフィンや森を散策したりして積極的にアクティビティを謳歌します。夕日を背中に浴びながら自然公園を走ったりして過ごすとすっかりソウル・リセットされています。


ヤナはこうも云います。『生活のための表現ではなく、ただあふれ出るエネルギーを表すことこそが「生きている」ということ。』だと。その教えは、素直に僕の胸に届きます。彼女は十代の頃にフランスを飛び出して、1970年代のヒッピームーブメントの波に乗って世界中を旅して廻った結果、ハワイ島に終の住処「プロミスランド」を見出しましたが、本書の最後で彼女はお告げのような言葉を囁きます。「私たちは、人生という大きな波をのりこなすサーファーだと思っています。」_ その土地に呼ばれることがあれば、僕は実際にこのハワイ島のプナ地区を訪れたいと考えています。その時、僕はどのような真理を掴みとるのか今からワクワクしています。





■  こちらの本は「上製本」でカバーもなくとても手に馴染みやすいです





次に紹介するのは、イハレアカラ・ヒューレン博士の『ハワイに伝わる癒しの秘法 みんなが幸せになるホ・オポノポノ 神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方』です。400年の歴史をもつハワイの伝統的な問題解決方法の考え方である「ホ・オポノポノ」を起源とした、ハワイの人間州宝となった伝統医療のスペシャリスト、故モナ・ナラマク・シメオナが開発した「セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノ」をわかりやすく説明した一冊です。平たく云えば、「スピリチュアル本」なのだけれど、巷に溢れているいわゆるオカルトもの本とは違って、きちんとヒーリング効果を顕わす「ホ・オポノポノ」の全容を解明した良書です。


作家のよしもとばななさんも本書の中で、「ホ・オポノポノ」との出会いと幼い頃からもともと「インナーチャイルド」と呼ばれる<潜在意識の記憶>が存在していたことを体験談として語られています。「ホ・オポノポノ」の具体的な実践方法の説明は割愛しますが、本書で語られていることは『「記憶のクリーニング」を行いましょう。』という呼びかけです。僕らの人生で起こることのすべての善し悪しは、実は<潜在意識の記憶>が関係していて、その問題解決には「記憶のクリーニング」が必要なんだとヒューレン博士が教えています。本のタイトルの一部にある、「苦悩の手放し方」を知りたい人はぜひ、本書を読んでみることをオススメします。





■ こちらの本は家人が知人から借りていた物で先に読ませてもらいました





僕の「人生のロールモデル」の一人である高城剛さんの近著、『世界はすでに破綻しているのか?』はこの先、真っ当に長生きして人生を楽しんでいきたいと思っている人は必読の、「サヴァイブ読本」です。本書は、過去25年にわたって著者がその目で見てきたことを書き記した「国家破綻の瞬間」を捉えたルポルタージュですが、米ロの冷戦構造が終結した1989年から現代までの経済史を[金融]という切り口で、ドラマティックに学ぶことが出来ます。また、本書の魅力は何といっても各国の財政破綻の例を挙げつつ、その結果、「人はどうなるのか?」という『カタストロフィー(終局)』に焦点を当てて「生き延びるヒント」を探っているところです。


2008年10月のロンドン、曇り空の午後_ 高級住宅街を歩いていた著者の耳に乾いた銃声が響くところから本書は始まります。リーマン・ショックのさなかに起きたこの発砲事件(投資の失敗で全財産を一夜で失ったエリート弁護士が無差別に銃乱射を起こした)を著者は、『合図』だと表現しています。ある日を境に突如として殺人鬼に豹変するその様を、いつもの光景の中で、人々が次々と変わっていく「ゾンビ映画」ようだと語っています_ ベルリンの壁崩壊後にソヴィエト連邦が崩壊、アジア通貨危機後の韓国経済の崩落、不動産バブル後のスペイン経済の衰退、ギリシャ危機後のEU覇権争い、米国のデフォルト(財政破綻)へのカウントダウン。


恥ずかしながら、僕は本書を読むまで世界経済で起きるトピックス_それは決まってバッド・ニュースばかりなのだけれど_について、それほど深刻に捉えることはなかった(どちらかといえば、「対岸の火事」として他人事だったと思う)。でも、本書を近代の経済史として読み込んだ時、ようやく対岸の『景色』の全貌が見えたわけです。それは凄まじい<地獄絵図>です。これまでテレビやラジオ、新聞やインターネットで断片的に周知してきた事件や暴動や混乱や危機の映像やイメージが、本書をきっかけに一つの『屏風絵』としてまとまった感じです。それと同時に、いよいよその大火も日本に飛び火するのだと解る(もしくは悟る)わけです。


「日本の借金」は来年度末には、1,143兆円に達すると一部で報じられています。この返済については、段階的に消費税率をアップさせる必要があるとされていますが、社会保障を削られる中で数十年後に「消費税30%」が実現できるか甚だ怪しいところではあります。前回のブログ記事でも告白しましたが過去5年間、僕は仕事で全国各地を旅して廻っていて同時に「終の住処」探しも行っています。その様子は facebook や Twitter を通じて皆さんにレポートしてきましたが、日本の地方都市も破綻した米国のデトロイトと同じように、中心部がゴーストタウン化して街機能がシィステム・ダウンしています。自分の目でその『景色』を 見ています。さて、「日本はすでに破綻している」のでしょうか?






■ 先頃、大増刷が決まったそうですがこの本は本当読んだ方が良いです


最後はおまけ。「漫画として読んでいる人は実は少ないのでは?」と思うくらい、この兄弟の物語は「極上のメッセージ」に溢れています(哲学とか啓蒙書に近いと個人的には思っています)。『宇宙兄弟(24巻)』では宇宙飛行士のエディ・ジェイが同僚に向かって格好良い台詞を決めています。「本当の“最善”のためなら“決定”なんて何回したっていいんじゃねえの?」_ 数多く漫画を楽しんできていますが、『宇宙兄弟』は必ずと言って良いほど読んでいるうちに不覚にも泣いてしまいます。極限の世界を描いた物語だからという理由ではなく、人間が本来持ち合わせている もっと「普遍的なこと」について描かれているているからです。僕も彼らと同じように宇宙に行くのが夢です。




■ 漫画に限らず人を惹きつけるものは「ストーリーテリング」に優れている




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「『読書は冒険』だ。」_ そう感じさせるいくつかの良本と今月はめぐり会いました。今後、僕がめぐり会って読んだ良本を不定期ですが当ブログで紹介していきます。題名は「本をめぐる冒険」です。テレビやパソコン、ケータイにタブレット、インターフェイス越しに過ごしていて「何か退屈だ。」と感じたら、『読書の冒険』に出ることをオススメします_ 今後、テクノロジーはさらに進化してデジタルデバイスも本と同じような感覚で『知の冒険』を楽しむことが出来るようになるでしょう。ですが、ワクワクするような感覚は共有出来ても、人間の真の能力(想像力)を養うのは難しいと僕は思っています。それは、やはりオンラインゲームにはない「マジック」なのです。


活きた情報というのは、自分の目で見てきたものであり、身体で体験してきたものです。『知の冒険』で経験値を積んだあとは、それを実際のリアルな世界にフィードバックするのが最良の循環だと思います。奥出雲で知り合った方々とハワイ島に住んでいるヤナは、同じことを云っています。「サスティナブルな生活を」と。また、「ホ・オポノポノ」の伝道師であるヒューレン博士と僕の人生のロールモデルである高城氏は、唱えています。「変わらない人間の欲望を自戒しよう」と。漫画の主人公である宇宙飛行士のムッタは、呟いています。「最後には必ず生きることを選んで」と_ 自然と浮かんできた彼らからのメッセージは単なる偶然でしょうか? それとも、何かの予言なのかもしれません。













2014年10月19日日曜日

しまね暮らし体験【後篇】「コットン畑でつかまえて。」

僕が滞在していた奥出雲町は、2005年に旧仁多町と旧横田町が合併して誕生した小さな町で。
島根県の東南端に位置しており、中国山地の峰々を隔てて広島県と鳥取県に接している。
入山前に出雲大社の宮司の方に教わったが、神話に名高い斐伊川の源流域にある。

この地帯は、古い書物では『古事記』『日本書紀』の八岐大蛇(やまたのおろち)退治や、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が降臨したと伝えられている「出雲神話」発祥の場所で
また世界で唯一、古来からの「たたら」操業を残す、『日本の物作りの原点』とされている。

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僕がお世話になった古民家ではテレビやラジオも無く、ダイヤルを回す黒電話が1つだけがあり
もちろんインターネットに必要な通信回線も引かれていなければ、ケータイの電波も届かない。
要するにテクノロジー環境で云えば、「縄文時代」にタイムスリップしたような場所だった。

古民家を修復した食事処で夕飯をご馳走になったのだが、家中は囲炉裏の灰で煤(すす)だらけ。
東京で生まれ育った、シティーボーイ(自称)の僕には相当なカルチャーショックだけれど。
それでも、囲炉裏を囲んで温かい食事を摂りながら真っ赤な炎を見つめているとリラックスできた。

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「家の中では、火を絶やしてはいけない。」_ 夕飯を提供してくださったご主人はそう云う。
家の中では、冬や夏でもつねに囲炉裏に薪を焼べて火を絶やさないようにしているらしい。
その理由は、囲炉裏の炎の熱や灰が家の中(屋根や梁)を守り、抗菌作用を働かせているから。

ご主人は囲炉裏の炎と薪の具合を調節しながら、ぽつりぽつりとここの暮らしについて語り始めた。
もともと関東の方で様々なキャリアを重ねてきたご主人は、数年前にご夫婦で奥出雲へ移住してきて
いまは無農薬農業やオーガニックコットンの栽培、古民家で農家レストランに挑戦されているという。

ちなみにこの時、夕飯でご馳走になったメニューは驚くほどどれもシンプルな料理ばかりだった。
馬鈴薯の子ども「むかご」を卵とオリーブオイルだけで焼いたオムレツ(めちゃくちゃ美味い)や、
自生した筍「まこも」の焼き物(トウモロコシの味に近い)を近海の藻塩だけでいただいたりと。

囲炉裏の炭火で調理された土地の野菜たちは、丁寧にうま味を引き出されどれも滋養に溢れていた。
テレビのCMでよく「美しい食卓」と唄われているけれど一体、それの何が美しいのだろう?
コンビニエンス・ストアで調理された総菜を買って、食卓に「綺麗」に並べることなのだろうか_

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滞在中、台風19号( Vongfong )が日本列島を縦断した。黒電話しかない古民家だったので、
進路や被害状況を情報収集するのは、この場所ではナンセンスに感じられたけれど
それでも最近は、集中豪雨による土砂災害も発生するので最低限の注意は必要だった。

予定されていた無農薬畑(そこは水の綺麗な山の頂にある)での収穫体験は延期になったが、
別の日に、「火のご主人」が栽培しているオーガニックコットンの畑にお邪魔させてもらった。
地元有志によるプロジェクトで奥出雲で作った綿製品を毎年少しずつ都会で紹介して販売している。

その他に数千羽の鶏を飼育している養鶏場を訪れたり、地元の温泉に浸かったりして過ごした。
当たり前だけれど僕が民泊していた辺りはとくに閑かで、朝はとにかく空気が美味かった。
少し個人的な話になるのだけれど、事情があって僕はもうここ5年くらい移住先を探していて。

その条件の一つに、「空気の美味い場所である」というのが前提にあった。そういう点では、
すぐに移住するわけではないけれど、ようやく候補地を見つけられたような気がした。
水が綺麗で空気が美味く、近くには自生する野菜が多くて、おまけに温泉もある。

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『THE CATCHER IN THE RYE』の中で、コールフィールド少年はとことん逃げてゆく。
息苦しい学校やその規則から、面白くない友達や大人から、とにかくとことん逃げてゆく。
そうして行き着いた場所でも、彼はまた裏切られてゆく。でも、『物語』は底抜けに爽やかだ。

生き苦しい都会で暮らしていると、「何か変だな。」といった直感力が鈍ってくるのは確実で。
僕はその原因が都会の、「美しくない食卓」と「繋がり易い環境」に在ると思っています。
これからは、「逃げるが勝ち(価値)」の時代が必ずやってくるとコットン畑で確信しました。












2014年10月17日金曜日

しまね暮らし体験 【前篇】「パワースポット経済の最期の楽園。」

近年、島根県は「パワースポットの聖地」として注目を浴びている。
その理由は一昨年、本殿遷宮を迎えた出雲大社の人気であったり、
「陸の孤島」と呼ばれる豊かな自然環境が残っていることが挙げられる。

出版社に勤めていた頃、僕は毎週、仕事で全国各地を飛び回っていたけれど、
これまで島根県を訪れることは全くなかった(その原因は以下で記しています)。
それでも今回、ようやく機会が巡ってきて「陸の孤島」に上陸することが出来ました。

【前篇】では、島根県のオモテ側として「観光」に焦点を当てて、
【後篇】では、ウラ側として「自然」についてレポートします。
オモテ・ウラを通じて「地方創生」に本当に必要なことを感じてみてください。

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今回、島根県を訪れるのに僕は深夜高速バスを利用してみたのだけれど、
ちょうど「渋谷 ⇄ 出雲大社前」という直行便が出ていて大変便利でした。
ただし、片道:10時間程度かかるので移動時間を重視するなら飛行機がオススメ。

(LCCの就航キャンペーンを利用_春秋航空だと期間中は片道:1,000円!_して
広島や高知から島根入りを考える方は、最寄り空港が成田に近い人がお得です。
いずれにしても、バス・電車の交通手段だと到着するまでに一苦労するのは事実。)

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今回の旅の目的は、「しまね暮らし体験」にあるので観光はほどほどにしましたが。
その中でも出雲大社は、「パワースポットの聖地」と呼ばれるだけあって。
到着してその地に足を踏み入れた瞬間から、ただならぬエネルギーを感じました。

僕は霊感というものは普段、持ち合わせていないのだけれど(本当です...)
ここが「特別な場所」であることは到着した早々から解りました。
不自然なくらい閑かで、佇んでいるだけで心が震えてくるのが実感出来ました。

全国で10月は神無月と言いますが、ここ島根では(旧暦では)神在月とされます。
それは年に一度、全国の神様たちが出雲大社に集まって、向こう1年間の
「ご縁」について相談し合うと古くから言い伝えられているからです。

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一昨年、本殿遷宮で脚光を浴びた出雲大社ですが早速、その経済効果にあやかろうと
スターバックスが今年4月、出雲大社前に出店して話題となりました。
景観規制の厳しい街ですので、店舗デザインは和風仕様に施されていました。

日本では、テレビや雑誌メディアで幾度も紹介されてきたパワースポットですが
出雲大社は「パワースポット経済の最期の楽園」なのかもしれません。
「西洋と東洋の縁結び」というキャッチフレーズもどことなく洒落が効いています。

出雲大社のある出雲市をはじめ、松江市でも観光サーヴィスは力を入れており、
レンタサイクルの貸し出しを積極的に行って、日本では唯一、電車の車両に
レンタサイクルの乗り入れを認めて、移動の利便性を高めるのに努力しています。

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また、松江城のお堀端は全国でも珍しい「完全周回型」で遊覧船が出ています。
1周:50分程度の乗船時間ですが、実際に利用してみると「水の都」を感じます。
武家時代の上士・下士の生活の名残りを、古い長屋の点在から垣間みることが出来ます。

器が三段重ねになった蕎麦「割子」にしても、その時代の庶民の慎ましい楽しみを
発見することが出来ます(蕎麦はもともと貧しい「庶民のソウルフード」だった)。
娯楽が溢れている現代でこうした「楽しむ力」を養うのは難しいのかもしれません。

いよいよ【後篇】では、「しまね暮らし体験」の拠点となる「奥出雲」を紹介します。
「奥出雲」は『もののけ姫』でも登場した、たたら製鉄や深い森が残る場所です。
日本のモノづくりと神話の原点となる場所とは一体、どんなところなのでしょうか。


【後篇】につづく






















2014年10月6日月曜日

WEBサイト“PANKICHI BASE”が完成!!

みなさん、こんにちは。ボク(PANKICHI)のWEBサイト“PANKICHI BASE”が完成しました!!

これまで描いてきたイラストレーション・絵画作品(一部)をまとめた“Gallery”コーナーから、

今後の創作活動・プライヴェートレポートを随時更新してゆく“Blog”コーナー(当ブログ)まで。

このWEBサイトを通じてボク自身、「ワクワクする」ことをみなさんとも共有したいと思っています。

お時間がある時にぜひ、訪れてみてくださいね。それでは、“PANKICHI BASE”発進です!!



PANKICHI 公式WEBサイト “PANKICHI BASE”

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