毎年、暮れの忙しい頃になると筆と葉書を引っ張り出してきて、ごそごそと年賀状を書き始めるのだけれど。今年はどういうわけかまだ一枚も書いていない。というか一枚も書く気が起こらない。困った、どうしてだろう?(全然困っている雰囲気が伝わってこないって云わないでくださいね) 理由は判っている、それは「今年、僕が誰とも会わずに一年を過ごした」からだ。前回のブログでも書いたけれど、今年、僕は「『仙人』みたいな生活をして」過ごした。仕事も辞めて関わっていたいくつかのコミュニティとも縁を絶って、ヒマラヤの高地で暮らす(存在自体が美しい)雪彪みたいに独り、『閑かな時間』を過ごした。日が昇ると簡単に朝食を食べて家の掃除をしたあと、生活に必要な物をチェックして(大した物ではない、レタスやお豆腐とかそういったものだ)、スイミングプールに通うような格好で近所まで出かけて買い物を済ましたり、気が向いたら駅前の本屋で新刊コーナーを覗いたりカフェで読書をしたりして過ごした。日が暮れる頃には犬の散歩をして手の込んでいないシンプルな夕食を作って独りで食べた。(僕は酒を嗜まないので)もちろんナイトライフ的なものもなく、読みかけの本のページを繰っているうちに眠くなるとさっさとベッドに入って寝てしまった_ そういう生活がほぼ毎日、規則正しくつづいた(たまに昼間に蕎麦屋に立ち寄ったりパン屋に寄ったりすることもあったけれど、基本的には外食はほとんどしなかったし食事そのものは家で簡単に作ることにしていた)。変わった事と云えば、巡ってゆく季節の花や鳥、風や月くらいだ(あと僕の体重が元通りに戻った)_ とにかくそんなわけで、今年お世話になった人がいないので「わざわざ年賀状を書くまでもないな」と思ったのだ。
もちろん、全く誰とも会わなかったわけでもない。少なからず、お世話になった人びともいることも確かだ。今年の始めは「絵本出版プロジェクト(クラウドファンディング篇)」で全国の人びとから多くの応援や声援をいただいたし(とくに九州地方の人びとには大変お世話になった)、僕の絵画作品を描き納めさせていただいたパトロンの方々には感謝の言葉を尽くしても足りないくらいだ。それと今秋は『田舎暮らし体験』で温かく迎え入れていただいた奥出雲町の方々や参加者にも頭が上がらない。あと、数少ない絵描き友だち(本当に数が少ない)やTwitterやfacebookをはじめとしたSNSで細々と僕の動向をフォローしてくださっている人びとにも最後にお礼を言わなくちゃいけない(こうやって思い出してみると結構、こんなへっぽこな僕でも「市井の人びと」に支えられているのが解るものですね。この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございます。ぺこり)_ それでも一貫して申し上げたいのは僕は今年、本当に誰とも会いたくなくなってしまったということです(仕事を辞めた急激な環境変化と、精神的なあるショックを受けたのが原因だと思う)。もう少し「突っ込んだ」言い方をすれば、「しごくまともな(丁寧で)『閑かな生活』を手に入れたかった」というのが本音です。この数年間、パートナーとの関係性の中で身を粉にして多忙な毎日を過ごしてきた僕にとっては、自分の『魂』が悲鳴を上げていたのを知っていましたが、それでも、家に僕が『戻り』さえすれば(それと温かい料理を作って待ってさえいれば)「平穏な生活」が送れると信じていました。 _残念ながらその仄かな松明(たいまつ)のような『希望』はそれ以上、大きな炎となる事はなかったのだけれど(結局のところ、僕が仕事を辞めて家に入っても彼女が「まともに」家に戻って来なければ意味がなくて。僕の作った温かい料理は完全に冷めてしまった。悲しい話だけれど)。とにかくまあ、今年は本当にアメージングな一年だった_
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年賀状で思い出した話があるのだけれど昔、正月年始を実家で過ごしていた頃(結婚する前の、今から14年くらい前の話だ。ちなみにこの話は別のところでも以前に書いた事があるので、すでに読んだことがある人がいたらどうぞ読み飛ばしてください。僕自身は結構、この話が好きなのだけれど)、TVプログラムを居間で愉しんでいたら突然、母親からこう云われた。「あなたから年賀状が届いているわよ」と_ それで僕は居間で寝転がりながら母親に差出人を訊いてみた。「誰から?」と。すると母親は間髪入れずにこう答えてきた。「だから、あなた宛に、あなたから、年賀状が、届いているわよ。」と_ わけがわからなかった。僕宛に、僕から年賀状が届いているって何だ?(断っておくけれど、年末に書いて余った葉書を使って、わざわざ自分宛に投函したりするほど、僕はそこまでロマンティックな人間ではない。) 寝正月を決め込もうとしていた僕はだるそうに居間を出て、台所にいる母親からその年賀状を受け取った。宛名を見ると確かに僕宛だった。差出人も確かめると僕の名前が書いてあった。ますますわけがわからなかった。それでも、葉書をよく見ると宛名と差出人の両方とも僕の名前が「平仮名」で書いてあった(しかもおぼつかない字で)。そこで突然、僕は身体に電流が走ったようにすべてを思い出す。「そうだ、確かにこの年賀状は僕が書いた。16年前に。」_ この年賀状を書いたのは1985年(当時9歳)、おそらく小学校4年生くらいの時だったと思う。学校のイベントで、郵政省が設置した「未来に向けて葉書が贈れる『ポストカプセル』(「つくば万博」開催を記念して設置されたものだと記憶している)」に全校生徒で行事参加したのだ。
当時のニュースによれば、21世紀の元旦に326万人の家庭にこの「未来(に向けて贈った)年賀状」が配達された。受け取った僕(当時25歳)としては、「へえ、こういうのってきちんと届くんだ(大した物だな、郵政省もなかなかやるじゃん)。」と照れくさいのを隠すような態度をとった。だってそう思いませんか? ガールフレンドや恋人からの手紙で、「あなたのこと嫌いじゃないのよ。でも何ていうかその…… 云々。」って書いてあるんだったら僕も、「ふうむ、そうか。嫌いじゃないのか……云々。」と反応が出来るけれど、相手が『過去の僕自身(それも「小学生」の僕だ)』ですよ、照れくさいし何だか妙な気分にもなりますよ。それでも、時空を超えてわざわざ僕の下にやって来たのだから、『過去の僕自身(小学生の僕)』にも紳士に接しなくてはいけない(つくづく優しい性格なんです)。じっくり読みましたよ、「未来年賀状」の中身を。オモテ面には宛名と差出人(僕の名前だ)が書かれており、ウラ面には当時得意だった授業科目(もちろん、「図工」だ)や好きなヒーローの名前が書いてあった。『過去の僕自身(小学生の僕)』とはいえ、もう少し気の利いたことを書いても良かろうにとがっくりきてしまった。でも、最後の「しょくぎょう」の項目の中にこう書いてあった。「本やさん」って_ おそらく、21世紀になった時に就いていたい「職業」についての質問項目だったのだろうけれど、「本やさん」って漢字くらいきちんと書けよと突っ込みを入れてしまった。それにご丁寧に「さん」まで付けてある(しつこいけれど、つくづく優しい性格なんです)。でもまあ、この「未来年賀状」を見たからというわけではないけれど、その後、僕は転職して何の因果か出版社に勤めることになった。そして、その数年後に(これも奇妙な巡り合わせで)都内某所に小さな「(絵)本やさん」を開くことにもなった。人生って、結構な確率で想う方向に向かうものですね。ドリーズムズ・カム・トゥルー。
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今年はとにかく、『閑かな生活』を手に入れて心ゆくまで過ごしてみたけれど。かといって、暇だったのかと訊かれたら実はそうでもない。むしろ、「しごくまともな(丁寧で)『閑かな生活』を手に入れる」というのは、どちらかというと規則正しさを守ろうとする観点で云えば、とても「集中力が求められる」ストイックな世界なのだ_ とりわけ気を配っていたのは、毎日の「食事を摂ること」と、適度に「情報を削ぐこと」だ。年始に実は酵素ダイエットというのを試して断食生活を数週間つづけた。お腹まわりに付いた脂肪を溶かして7kgの減量に成功した。そのあと、春頃から菜食中心の食生活に切り替えた(肉類はほとんど断った)_ 「オーガニックに生きる」ことをモットーに生活の質や過ごし方のスピードも調整していった。その結果、僕の体重は昨年の暮れと比べて20kgも減量した。文字通りするりと余分な脂肪が消え去って、代謝不全による身体のむくみも無くなった。それと同時に、過度な欲求(煩悩と云ってもいいかもしれない)も無くなった。以前は肉食中心だったので短期集中というか、エネルギーが切れるとイライラしたり怒りっぽかったけれど、食生活を改善してから性格も穏やかになった(元々、僕は温厚な性格の持ち主なのだ)。ストレス性の抜け毛も無くなり、毛髪量も増えたくらいだ(本当に)。そして以前より、世の中の『動向』に対して懐疑的になり不必要にコミットメントするのを避けるようになった。誤解してほしくないのは、僕は何も世捨て人のような存在になったわけではないということだ。選挙があればきちんと投票所まで出かけるし、気に入っている映画監督の新作が公開されれば劇場まで足を運ぶ。でもそれだけだ。それ以上、過度に<世界>にコミットメントしない。それがルールだ_
21世紀の現代社会を生きる人びとの共通の悩みはほとんど、「コミュニケーションにまつわること」に集約されると云っても大袈裟ではないだろう_ そのくらいほとんど毎日、皆んな何かしら自分と他人の間にある<コンテクストの壁>に頭を悩ませている。その原因の一つは、「情報の摂取量が過度になっている」からだと僕は密かに考えていて、今年は思い切ってその人間関係も『断捨離』させていただいたのだけれど、おかげですっきりとした生活を手に入れることが出来た。もちろん時々は人恋しくなることはあるけれど、そういう時は飼っている犬(老犬チワワ)と一緒に散歩することにしている。この犬とはかれこれ、もう9年くらいの付き合いになるけれど(一緒に暮らし始めたのは5年くらい前だ)正直なところ、こんなに長くこの犬と顔を付き合わすことになるとは思いも寄らなかった。彼女(雌犬です)もきっと、同じことを思っているだろう。「ふん、馬鹿みたい。それはこちらのセリフよ。それはそうと、さっさと散歩に連れて行きなさいよ。」_ 気持ちよく晴れた昼下がり。晩秋の銀杏並木の下、彼女と散歩していると何だか妙な気持ちになってくる。「一体、何だってこの僕が犬の散歩をしているんだ?」って(本当の飼い主よ、君はどこにいるんだ?)_ でもまあ、仕方がない。これも運命だ(ほとんど呪いに近い)。黙って黄色い絨毯の上を黙々と歩いていく。散歩から帰った後、彼女は水をたらふく飲んでリビングのソファで渦を巻くような格好で午睡をとる。その姿はまるでカタツムリのようだ。ほとんど身じろぎもせずにひっそりと眠る「うずまき犬」を眺めながら、僕は呟く。「うずまき犬よ、お前は世界を渦に巻き込まなかったのか?」_ 何だか唄の文句みたいに聞こえる。「うずまき犬よ、お前は世界を、渦に巻き込まなかったのか?」_































