「自家用車」を所有こそしていないけれど、僕の運転歴はそこそこ長くて実は20年のベテランドライバーである。ほとんど都内を中心に走っているだけだけれど、初めて行く場所でもカーナビゲーションなんかに頼らず大体は目的地に辿り着ける(逆に郊外は苦手だったりする)。渋谷駅前の坂道を下りながら渋滞で道が混雑していても、「あと10分くらいで紀尾井町にある本屋に到着できるな。」「青山界隈を寄り道して街の様子も少し眺めてみよう。」_ シグナルランプに気を配りながら、小気味よくステアリングを切っているとアーバン・ドライバーとしての血が沸々としてくる。浮世離れした生活をつづけている僕だけれど、車窓に映る街の景色を眺めていればその時代の大抵のことは解る。
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乗り物で思い出したけれど先月末、イギリスの富豪でリチャード・ブラウン氏が率いる宇宙旅行会社「ヴァージン・ギャラクッティック」の宇宙旅客機がテスト飛行中にトラブルを起こして墜落したニュースを耳にした。墜落した宇宙旅客機「スペースシップ・ツー」は乗客を地上約100kmまで輸送して、数分間の無重力体験をする「宇宙旅行」が売り物で早ければ来年から就航が予定されていたけれど、今回の事故を受けてスケジュールの変更を余儀なくされそうである。人類史上初の「宇宙旅行」実現にはまだまだ課題がありそうだけれど、ちなみにこの「宇宙旅行」にかかる費用は25万米ドル(約2,500万円)で滞在時間は4分間、日本からも数十名のエントリーがあり僕もこの旅行には高い関心を寄せている。
宇宙旅客機はまだ乗ったことはないけれど、従来の航空機なら何度もお世話になってきた。僕の周りではご存知の方も多いと思うけれど、以前に勤めていた出版社では仕事の関係でそれこそ毎月全国各地を飛び回ってきた。忙しない時は毎週羽田空港に通っていた時期もあるけれど、乗り物として心地良いなと思ったことは一度もない。その代わり、僕は飛行機での移動時間を「瞑想する」のによく当てていた。ちょうど昨年の今頃も、札幌で仕事を済ませたあとその足で千歳空港に向かい、羽田空港行きの航空機に搭乗して東北地方の上空を飛びながら、翌日に参加を控えたマラソン大会のことを考えていた。他の乗客が機内サーヴィスを受ける中、アイマスクを付けてイメージトレーニングを重ねていた。
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考えてみたらこの10年間、ほとんど移動しっぱなしの人生を歩んできた。もともと出不精な性格の持ち主だったので勤める会社も人事異動などで全国にある支店に転勤が発生しない職場を慎重に選んできた(これについては東京生まれの東京育ちの方なら少しは理解してもらえるかもしれないけれど、生粋の都市生まれ・暮らしの人間にはどうも「別の場所で暮らしてみよう」という考えがすっぽりと抜け落ちてしまう傾向があるみたいです)。でも、ふと気がついたらどういうわけか人一倍移動しつづける人生に浸かっていた。都内にある出版社に勤めているのに僕だけが会社の中で「不在」にしていることが多かった。会社を辞める直前に計算してみたら今までの総移動距離は15万km(地球3周半)に達していた。
移動する交通手段は前述の航空機もその一つだけれど、同じくらい利用してきた乗り物はやはり列車で新幹線はあらゆるタイプを乗ってきた(その中でも九州新幹線の「つばめ」は車内装飾が和風モダンで記憶に鮮やかに残っている)。もちろん、それだけでなく乗り継ぎで利用してきた全国各地のローカル列車も数えきれない。僕は世の中で云うところの「鉄道オタク」ではないのだけれど、ローカル列車一台とってもそこにはその土地の哲学が反映された乗り物なのだなと感動することが何度かあった。そういう意味では、僕は航空機よりも列車で移動する方が実は好きだったのかもしれない(それを裏づける理由になるかどうかわからないけれど、列車で移動している時はよく新しいアイディアが浮かんできた)。
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僕たちに正確な未来予想を求めるのは難しいけれど時代の反映に合わせてこの先、便利で快適な乗り物が登場することだけは誰もが想像つくだろう。その中でも、未来の代表的な乗り物として挙げられるのが2027年に開業を予定している「リニアモーターカー」だ。最速時速500km台で東京〜名古屋を最短40分で結ぶというのだから驚くばかりである。たとえば、ガールフレンドと代官山で食事して別れたあと、1時間後には別の友人と栄で手羽先を肴に飲んでいるなんてことも当たり前になってくる。この感覚はもはや、「どこでもドア」に近いのではないかと思う。でも、そういう四次元ポケットから出てくる「未来アイテム的な感覚」がすぐ目の前までやってきているのも夢物語でなく現実だったりする。
最終的に時速500kmとか600kmの乗り物から眺める「『世界の車窓』の景色は何色だろう?」か。その爆発的な速度の中で人びとはどのような新しいアイディアを思いつくのだろう? もしかしたら、一切何も思いつかないのかもしれない。圧倒的な移動感覚に人びとは痺れて、我を忘れてしまうかもしれない。そうなった時、「哲学のあるローカル列車」が逆襲できるだけの体力を残しているかはまったくもってわからない。「ファスト・ヴィークル(乗り物)」が増えつづけた結果、僕たちは何を得て失うのかもう一度考えてみてほしい_ 目下、僕の最良の移動手段は「自転車」である。雨降りを除いて毎日仕事場を行き来するのに不自由はないし、何より「自転車」は今のところ「21世紀の最高の『瞑想マシン』」なのだ。
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後述付記
「乗り物」について一つ物を書いてみようと思ったのは冒頭でも触れましたが、久しぶりにクルマを運転したのがきっかけだったのだけれど、実際のところは「ほとんど移動しっぱなしの人生」から距離を置いてゆっくりと物を考えられるようになるまで、このくらいの時間(半年間)がかかったというのが事実です。僕にとって移動そのものが日常であって、移動していないことは非日常だったわけです。そう思っていたら、前述の東北地方の上空を飛んでいる時にふと「そろそろ、こういう生活とも片を付けないとな。」と感じたわけです。その翌日、僕はマラソン大会で完走できたら会社を辞めようと心に決めて走りました。そして、さらにその翌日には、辞職願いを会社に提出していました。
これも実際に計算してみて判ったことなのですが通常、都内の会社で働く勤め人が毎月20〜23日くらい職場のデスクに向かうのに対して、僕の場合は毎月10〜12日くらいしか会社に居なかったわけです。これは要するに何を意味しているのかというと、自分の所属しているパラダイムにコミットする時間が極端に少なかったわけです。必然的に別のパラダイム(当時、マネージメントの協力をしていた絵本屋がそれに当たる)に関わる時間が相対的に増えていきました。この話については後日、改めて「働き方」をテーマにまとめてみたいと思っています。とにかく、僕にとって「乗り物」(=移動)というのは「物を考えるための手段」だったということが少しは解ってもらえたかと思います。
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それと極めて個人的な所感なのでここでは書くまいと思っていたのだけれど、やはり思い直して告白しておくと僕は個人的には今後も「自家用車」を率先して所有することはおそらくないと思う。話すと長くなるので詳細は割愛するけれど、数年前に偶然、他人が起こした自動車事故に遭遇したことあって、下敷きになった子どもを救出したことがあった。目の前で起きた交通事故だったから心的ストレスは大きくて、それ以降、僕は「クルマを取り巻く社会」と関わりを持つのを遠ざけるようになってしまった。もちろん、クルマそのものやドライブすることは今でも好きだけれど、都市環境のことを考えると僕はこの先、水上バスや自転車といったエコロジカルな「スロー・ヴィークル」を推薦していきたい。
そして、最後に付け加えさせてもらえるならば、「乗り物」は何もカタチが無くても良いと僕は思っています。たとえば『物語り』という名の「乗り物」は、僕たちを別の場所へと運んでくれます。スタティック(静的)なエゴを『物語り』という名の「乗り物」に沈めることによって、A地点からB地点というポイントまでスムースに運んでくれるわけです。僕はこのカタチの無い「乗り物」を「サイレント・ヴィークル」と名付けていますが、これが21世紀の真の「乗り物」だと確信しています。『物語り』のモーメントは地味だけれど、一度身を預けてしまえば自動的に目的地まで引っ張ってくれる力強さを持っています。その力強さは宇宙旅客機よりもクールでリニアよりも新感覚に富んでいるかもしれません。

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