最近、料理や掃除をしたり家で過ごす時はクリスマスソングを好んでよく聴いている。ワム!の『ラスト・クリスマス』やホイト・アクストンの『ジョイ・トゥ・ザ・ワールド』など、この季節には欠かせないいわゆる定番と呼ばれているクリスマスソングたちだ。「いい年齢の大人がよりにもよってクリスマスソングだなんて馬鹿みたい。」と仰られる方もあるいはいるかもしれない。僕もそう思う。でもこれにはきちんと深い理由あるわけです。僕も何も好き好んで馬鹿みたいにクリスマスソングを一年中、聴いているわけではない。どちらかといえばこの手の曲は長年、敬遠してきたタイプの人間で出来れば聴きたくないと考えてきた。だってこの手の定番曲って馬鹿みたいに明るくて_必要以上にコーラスが大袈裟で_ロマンティックじゃあないですか、それに必ず曲の最後には天上から主(それは決まっていわゆるイエス・キリスト的な神様)が降りてきて物事は何もなかったように丸く解決しちゃう。そんなのどう考えたって馬鹿げているし本当の問題解決にはなっていない。それでも不思議とこの定番と呼ばれているクリスマスソングには妙な説得力がある。聴いているうちに「まあ、そういうこともあるよな。」と納得してしまう力を秘めている。これを僕は勝手に「天上から主」パワーソングと名付けている(断っておくけれど僕は生粋の無神論者_という表現も変なのだけれど_だし、何もイエス・キリストに喧嘩を売っているわけでもない。ただ、不思議とこの手の曲に対して昔から言い知れぬ畏敬の念を抱いているだけです)。要するに、クリスマスソングも悪くないよなって思うようになっただけです。年齢をとってそれなりに僕も丸くなったという言い方もあるけれど。
イエス・キリストのような絶対的な神様には変身出来なかったけれど、今年は方々で会う人びとが僕のことを指して「まるで『仙人』のようだ。」と言われまくった一年だった(と言っても積極的に人びとと会うことを止めた一年だったので、そう言われたのは数場面だけれど。それでも、彼らは異口同音にはっきりと『仙人』という単語を使って僕の存在を言い表した。これには僕も少なからず驚いてしまったのだけれど、後でよく考えてみれば「なるほど、あるいはそう言われても不思議ではないよな。」と納得する部分があった。これについては後ほどお話しします)。僕自身も意識したわけではないけれど自然とそういう「『仙人』的な生活や存在に傾倒していった一年だったな。」と後になって振り返ってみて気がつくことがあった。人びとがちょっと真似出来ないような習慣を取り入れたり、おいそれと築けないような環境に身を置いたりしてきたのだ。今だから告白するのだけれど(大それて言うようなことでもないのだけれど)、僕はそういった『仙人』的な生活や存在を長い間、強く求めてきたのだと思う。仕事も辞めて関わっていたいくつかのコミュニティと縁を絶って独り孤絶するような生活を必要としていたわけです。煩悩と呼ばれるものから遠く離れて自らの存在を『無常』に近いところにまで持っていくことが最優先事項としてプログラムされたと言ってもいいかもしれない。でも、一体どうしてそんな『仙人』的な生活や存在を追い求めることになったのか? それは、僕のこれまでの「働き方」と密接な関係がある。
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今年の1月末に僕は長年勤めていた出版社を辞めた。前々回のブログでも少し触れたけれど、去年のちょうど今頃、あるマラソン大会に出場して完走し切ったところで「そろそろ、こういう生活とも『卒業』しないとな。」と決意したわけである。その翌日、僕は会社に退職願いを提案したのだけれど周りから猛烈な反対に会った。直属の上司や同僚からは、「何もそこまで潔くすることはない。」と何度も思い留まるように説得をされた。僕の一つ年上の先輩からは、「そうは問屋がおろさない。」とまで言われた(その物言いもよく判らないのだけれど、彼は何かの冗談だろうといった具合に話を聞き入れてくれなかった)。それから数週間かけて、僕は会社にきちんと事情を説明した。先ず一つ目に、これまでの「移『動』しっぱなしの働き方」で身体に変調を来していることを伝えた(毎週、飛行機や列車に乗って全国各地を飛び回る不規則な生活によって、体重が著しく増加してしまった)。二つ目に、会社には内緒にしていたのだけれど自分のパートナーが運営している絵本屋のマネージメントを数年間、協力していて余暇を持つことが出来ずにいること。加えて、そこから派生するかたちで生を授かり絵を描く人間として作家活動を行っていることなど(二つ目の事項については会社も以前から察知していて、実のところ僕は長い間、「マークされ」ていたわけです。この辺の事情については僕のTwitterフォロワーの皆さんはすでに周知していると思いますが、コンプライアンスに抵触しないよう僕自身も絵本屋の仕事については過去数年感、無給で勤しんでいました。要するに僕が闘っていた相手というのは、他ならぬシステム(=組織)そのものだったわけです)。
ご存知のない方に補足しておくと、出版社という「旧メディア」はとても閉鎖的なソサエティです。世間で云うとどちらかといえば右寄りの傾向が強くて、昨今の出版物の内容においては保守的な傾向がつづいているような気がします。某大手出版社を辞めて「ノマド・ワーカー」として注目を浴びた女性がいますが、彼女の言葉を借りるならば「オールド・ボーイたちがすべての実権を握ってしまっていて、まともな出版物を作ろうにも提案する機会すら与えられない。」というのが実情です。そういうクローズド・ソサエティの中で才能のある若い出版人たちは疲弊してしまっています。本が売れない・詰まらないのは、そうした一部のオールド・ボーイたちの既得権益を守ろうする意識とリンクしていると個人的には思っています(一昔前はそうじゃなかった。書物はきちんと書物として「全うな所作」を持っていたような気がします。少なくとも前世紀までは)。とにかく、数週間は周りの説得がつづいたのだけれど、その理由というのがやはり僕の代わりになる人間が居なかったことが背景にあったので(実のところ、僕は入社して以来、首を切られないように他の人がやりたがならないような仕事を嫌な顔もせず黙々と引き受けてきた。わがままな作家たちの面倒を見たり、他部署とのリレーションや他メディア_テレビ・ラジオ局や新聞社だ_との交流役を買って出るなど。要するに、使い勝手が良かったのだ)、代理となる人間を社内で探してきて彼に仕事を引き継いでもらうことになった(引き継ぎの途中で彼は悲鳴を上げて大変だったけれど)。
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なんとかかんとか出版社を『卒業』したのは良かったのだけれど、もう一つケリを付けておかねばならないことが残っていた。絵本屋のマネージメントの仕事である。その頃、僕が協力していた絵本屋では2つの大きな絵本出版プロジェクトが立ち上がっていて、刊行に向けてスケジュールが進行していた。1つは絵本屋にとって看板的な存在である絵本作家の新作で、もう1つはクラウドファンディングを利用した新人作家の絵本(2冊)だ。本当のことを云うと、僕はこの2つの絵本出版プロジェクトを何としても成功させたかった。というのも、看板的な存在である絵本作家の新作は、シリーズの完結編として刊行すれば一区切りつくタイミングだったからだ。絵本屋と共に成長してきた作家だったから、前作を超えるような作品を作ってあげたいと個人的に思っていた(この絵本は今春、無事に刊行されて前作を超えるような素敵な作品に仕上がりました)。また、新人作家の絵本はマス・マーケティングを敬遠して、クラウドファンディングという新しいプロダクト手法を取り入れていたので、製品のクオリティにも十分な注意を払う作業があったり、何より民意のデリケートなケアが必要だった(この絵本は無事に資金調達に成功して今夏、2冊同時刊行することが出来ました)_ これらのプロジェクトを成功に導くには、全力で立ち向かわねば中途半端な結果しか残らないと肌で感じていたので、僕は勤めていた会社を辞めて彼らのその、『美しい夢』を叶えようと決意したわけです。
そもそも僕が「何故、絵本屋の手伝いをするようになったのか?」_ もう少し突き詰めるとそもそも僕(ら)が「何故、絵本屋を開くことになったのか?」_ そういう疑問や質問を投げかけてくる人は少ないのだけれど良い機会なのでお答えしておくと、これはもう「運命みたいなものです。」と言うほかない(ある日、突然、「絵本屋を開くから。」とパートナーから報告があった)。今からちょうど4年前のクリスマスを目前に控えた頃に絵本屋は都内某所で誕生したのだけれど、最初はスタッフも居なかったし、肝心な商品(絵本)も調達出来ないという状況だった。仕方がないから店番を自分たちでしたり、絵本も僕のコネクションで仕入れたりしていた。最初はおっかながって入店するのを躊躇っていたお客様も多かったのだけれど(だって2坪しかないんだもの、お店というよりほとんど小屋に近い)、そのうち名前を覚えてもらってお店に遊びに来てくれるお客様が増えてきた。地元の街の商店主たちとも仲良くなって、店の紹介をしてくれるようになった。小さな絵本屋だったけれどその分、遊びに来てくれた人が喜んでくれるようなサーヴィスでもてなしたり、大小のイベントを積極的に行った。その結果、いまは(僕より遥かに)優秀なスタッフも集まったし、不思議なご縁で知り合った絵本や創作作家たちの作品が揃うお店になった。「インディーズ絵本」という新しいジャンルの開拓にも貢献することが出来た(その軌跡は敢えて説明しません)。いま思い返すとそれは、一つの『冒険』そのものだった。
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2つの絵本出版プロジェクトが軌道に乗って、あとは刊行を待つばかりとなった4月末に僕はまるで照明の電気のスイッチを切ったみたいに、ある日突然やる気が起こらなくなってしまった。パチン、OFF。そんな感じで_ 最初は自分の身に何が起こっているのかよく判らなかったのだけれど、どうも心が折れてしまったらしく(他人事みたいな物言いですが、実際に他人の身に起こったような出来事だった)、「協力」と呼ばれる一切の活動に嫌悪感を抱くようになってしまった。わかりやすく言えば、「心変わり」である(あとで判ったことだけれど、この出来事は偶然に起こったことではなくて、どうも「心身の変化」と関係していたと気がつきました。その頃、僕はあるきっかけで食生活の改善として「オーガニック」に傾倒していました。その過程で起こる注意点として、「心のデトックス」も行われることがあり、一時期においては心のバランスが崩れることがあるとされていたのです)。詳しく調べていくと、正確には僕の『魂』に関係している症状でどうも、「重たくなった心に『魂』が潰されてしまっている」ことが判ってきました。要するに、パックマンみたいに「好き」と思ってパクパクと食べてきた心の体重が増え過ぎて、本来その下で支えてきた『魂』が支えきれなくなってしまったのです(ここで言う「好き」と思ってきたモノは前述の「協力」活動のことを指しているのだと思います)。それで、僕は悩んだのだけれど思い切ってすべての「協力」活動を止めることにしました。
その「決断」は(数少ない)何人かの仲間やコミュニティのメンバーに暗い影を落としたことは知っています(今でも申し訳ない気持ちでいますが、ここで僕がその事について謝っても仕方がないということも知っています)。人生というのは、「七転び八起き」で転ぶ度に周りに心配をかけたりするのだけれど、また起き上がって周りを喜ばすことが出来ると信じています(そうでなければ、僕たちの人生は何のために存在するのだろう)。でも、僕は「これで良かったんだ。」と今では思っています。僕はどこかで絵本屋やそれにまつわる、「協力」活動から身を引こうと考えていたし、このようなかたちで『卒業』することにはなったけれど、その事で誰も僕のことを非難したり文句を言う人が現れなかった(もちろん、残念に思っている人びとがいることは知っている)。その事実は、この数年間、僕が一所懸命に『冒険』してきたことを讃えてくれている証明なんだと前向きに捉えています。また、僕が絵本屋を開く手伝いをして協力してきた本当の理由は、夫婦間における「エロス(=興味・対象)の共有」だったのです(当時、夫婦で共通の価値観を共有しなくてはならない深刻な事情があった)。でも、とにかく僕は「絵本をめぐる『冒険』」を終えてボロボロになってしまった_ それと同時に、もう一つの「個人」活動として(パトロンに)頼まれて絵を描いていたので、迷惑をかけてはいけないと大判・小判の絵をいくつか描き終えて「『魂』のためのサバティカル(長期休暇)」を取ることにした。
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「ワーク・ライフバランス」の提唱者、ナイジェル・マーシュはTEDで披露したスピーチでこう云っています。「生活の本質を、決して営利企業の手に委ねてはならない。企業に限った話だけでなく、「魂の『食肉処理場』(=全ての商いを営む活動場)」についてです。」_ このスピーチをTVプログラムで観たのは昨年の夏だったと記憶しているけれど、以来僕は折に触れて彼の言葉を思い出してきた。マーシュも僕と同じように多忙な生活を送ってきてある日、仕事を辞めて家庭に入ることを決意する。それで彼は先ず、家族のための時間を持って、とくに子どもと一緒に過ごすことを優先する。ある日、子どもからこう云われる。「パパ、今日は僕が生きてきた中で一番楽しかったよ。」と_ 僕はこのエピソードが何よりも好きだ。僕にはまだ子どもが居ないけれど、マーシュがこの時、実感したであろう感動を共有することが出来る。彼が云う、「魂の『食肉処理場』」は現代を生きる人びとの周りには、いたるところに出現している。学校や職場、リアルとバーチャルなコミュニティの中に(付け加えれば、自分自身の中にも)。僕自身も気がつかないところで、この数年間、『魂』がバラバラに断裁されてミンチ状になっていたのかもしれない。では、そうした悪しき諸行から逃れるにはどうしたら良いのかというと、これはマーシュがそうしたように『魂』が望む場所に移るほかない。彼の場合は、その場所が家庭だった。僕の場合は閑かな場所、そう、たとえば「ヒマラヤのような高い『山』」の中だった。
そういうわけで、僕はこの夏、ヒマラヤの高地で閑かに暮らしていた(もちろん、比喩的な意味でだけれど)。ベン・スティラー主演の映画『LIFE!』の中に登場した、ヒマラヤの高地に生息する雪彪のように存在自体美しい生き物に変身して毎日、飽きもせず大自然の景色を眺めていた。具体的な事はあまり云えないのだけれど、縁が合ってこの夏は、自宅と某美術館を往復する生活をしていた(美術館のまわりには美しい自然が溢れていた)。そこで、僕はモネの《睡蓮》やムンクの《夏の夜の夢(声)》を眺めながら『魂』の復活儀式を行っていた_ この数年間、「ファンタジー(・エデン)漬け」になっていた僕は、いつの間にか、自分の意に反する『美』を吸収しつづけていたようで、人間(=煩悩)という存在を一度捨て去って、自らの存在自体が美しい雪彪に変身することで、本来の自分らしさを取り戻す作業をただひたすら行ったわけです。僕は何も他の『美』を認めないと言っているわけではなくて、あくまで個人的嗜好としての『美』をこの数年間で磨り減らしてきてしまった。それは、等価交換のようなもので良い刺激でもあったけれど、それと同時に身体の組成を丸ごと取り替えられているような大手術だったわけです。僕がとりもなおさず、この数年間、追い求めてきたのは「失われた身体性」「損なわれた精神性」をもう一度、取り返すことだったのです(それを奪った犯人を特定することは、ここでは大きな問題ではありません)。僕は僕自身から「今日は人生で一番美しかったよ。」と聞きたかったのです。
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「『仙人』的な生活や存在」を意識することで僕の『魂』はようやく正常な大きさに戻ることになった(実際のところ僕の『魂』は心を支えられずに、無惨なかたちにぺしゃんこになって萎びていた)。半年間もかかった_ 長くもないけれど短くもない。僕の場合は、そのくらいの時間がかかったというだけだ。それでも、その間、僕は美しい自然や名画や女性に巡り会った(その女性とは恋に落ちて…… というのは真っ赤な嘘です。ごめんなさい)。それで解ったことは、「ああ、僕はこの半年間、『動』く人(=働く)を止めて『山』の人(=仙人)になっていたのだなあ。」ということです。それでいまは、どんな人になっているのかというと僕の名前にある通り「『憂』う人(=優し)」という状態です(実際、本来の僕は世を「憂う」傾向があります。それは決してネガティブに物事を捉える見方ではなくて、対象については温かい視線を注ぐ見方という意味です。でも勘違いしてほしくないのは、「優しさ」というのは単に「甘やかす」「擁護する」というものではありません。場合によっては、「促したり(ファシリテート)」「指摘する」という意味を含んでいます。自分の名前はそう簡単に変えられませんが、僕はその事に気がついてからは結構、自分の名前が好きになりました(それまではあまり、好きになれなかった)。そう考えると、僕の名字も含蓄があります。「(深い)石の井戸」ってこれはもう_ 何て言うかほとんど呪いみたいな名前です(深い井戸の底で世を憂うだなんて、まるで某小説の主人公みたいじゃあないですか。わかるかな?)笑
それで、やはりいまもカフェでクリスマスソングを聴きながらこのブログの原稿を書いている、パタパタパタパタ_ ジョン・レノン&オノ・ヨーコが『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』[Happy Xmas(War Is Over)]を唄っているのを聴いていると、「うん、そうだよな。たしかに戦争は終ったよ、実にたしかに」って実感する。ウォー・イーズ・オーバー。 今年もあと3週間ほどで終ってしまうけれど、不思議と後悔はなくてむしろ、清々しさすら感じている。今秋は呼ばれた気がしたので、島根県の奥出雲を訪れたのだけれど(美しい夕日が印象的な場所だった)、来年は日本を飛び出るような予感がしている。いまのところは白紙の状態だけれど、計画を組むためのリサーチを行っている最中で、東南アジアに出かけるかもしれません。その後は(うまく計画が組めれば)、米国の某州に足を運ぼうと考えている。もちろん、計画が頓挫すれば日本に留まるけれど、でもどうなんだろう? 『天上から主』パワーソングみたいに、物事がすべて丸く解決しちゃうみたいなことが起きたら、人生はそれはそれで詰まらないのかもしれませんね。一年の最後にこうして馬鹿みたいなクリスマスソングを聴くくらいの方がちょうど良いのかもしれない。だってほら、人生のシビアさも味わえないじゃあないですか、一年中、ワム!の『ラスト・クリスマス』が流れていたら。笑 来年の、「ワクワクをめぐる冒険」を楽しみにしていてください。それにしても、本当にクリスマスソングって妙な説得力がありますよね。

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