2015年7月14日火曜日

“LOVEART PAINTINGART”《後篇》

僕が本格的に絵を描くようになってそろそろ五年が経とうとしています。元々、子どもの頃から絵を描いていたので他の人間(ひと)に比べたら、「上手く描けているね。」とよく褒められたものですが。その才能を伸ばすためにお絵描き教室に通ったり、とくに美術系の学校に進学するようなことはしませんでした。ただ私立大学の付属高校に入った頃に一度、「自分の好きなことと向き合ってみるのも、(あるいは)良い機会かもしれないな。」と思って美術部に入部したことがあります。それも随分、迷った末に高校二年生になってから入部したことを覚えています(元々、引っ込み思案の性格というか、それくらい臆病な人間だった)_


_それから卒業するまでの二年間、高校の美術部の部室でせっせと絵を描きつづけました。顧問の先生から油彩画も描くように勧められたけれど、当時の僕は生意気だったから(いまも変わらず生意気だけれど)、「アクリル画に集中したいんです。他の画法を身につけている暇は僕にはありませんから。」と返事をして。そのうち先生もしつこくは云ってこなくなった(おそらく当時の僕はそのくらい頑固な性格だったのだ)。でも、その頑固さも貫けば結果が伴ってくるもので、入部したその年の秋の地区大会に出品した小品が金賞を獲得することになった。これには先生も驚いていた(その作品は期間限定ですが某美術館に飾られた)。


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そこからしばらく、絵筆を握らない生活を送っていたのだけれど、六年前くらい前に引っ越しをした際に、知人や友人たちに向けて新居案内の葉書を絵に描いて贈ったところ、「これは一体誰が描いたものなの?」と思いがけず反響があり(当時、贈った絵葉書はお世辞で云っても褒められたものではなかったけれど)。周りの人びとからの勧めもあって、再び絵を描くことを始めたわけです。そこから先の活動記録については、僕(=PANKICHI)の<プロフィール紹介>でご確認いただけますが、ほそぼそとパトロン向けに絵を描いて時々、個展を開かせていただきました。例によって、パンダとあのお馴染みのキャラクターたちを中心に_


_いまさら断っておく必要もないのだけれど、基本的に僕は自分の身の周りで起こった出来事をユーモアを交えて絵の中に描いてきただけで、何か特別な目的を持っていたわけではありません。高校生の時分に、美術部の部室で絵を描いていた頃から二十年以上を経て、そして再び絵筆を握ることになったことを素直に喜んで絵を描いてきただけです。ペースは相変わらず遅筆でしたが、それでも愉しんで描いていたと思います。そのことに気がついたのは、つい最近だと思いますが正直、「ああ、僕は絵を描きたかったのだなあ。」と切実に感じました。それはつまり、「自分の(内なる)ヴォイスに耳をすまし」た瞬間でもあったわけです。


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これまではどこか、「絵を描くこと」や「芸術に触れること」に対して自分でブレーキをかけてきたところがありました。きっとその当時は自信がなかったのだと思います。絵の<セカイ>に身を置いていない自分に後ろめたさがあって、勝手に身を引いていたわけです。それでも、僕に「絵を描くこと」への勇気や真摯さを与えてくれた人びとがいます。僕の身近にいる人びとや僕の絵の師匠_と云っても特別に子弟関係を結んでいるわけではないのだけれど(所謂「憧れの存在」というやつです)_や数少ない僕の絵のファンの皆様です。「お好きに描いてみたら良いじゃないですか。」_ そう優しく答えてくれたあの日から始まったわけです_


_五年が経ったいまでも、あの日のことを思い出すことがあります。その度に、僕は閑かに心の底から感謝をしています。常々、僕が云っていることですが、「人間(ひと)が何かを始めようとする。それはすべて、『冒険』なんだと思います。」という言葉は実はこの得難い体験からきています。だから、誰かが何かを始めようとしている時、僕は躊躇わず応援するようにしています。「思うようにやったら良いじゃないですか」と。そうやって、勇気や真摯さを受け取ったその人間(ひと)はまた別の場面で誰かを応援するようになり結果的に『冒険』家が増えることに繋がっています。僕はそのようなかたちで今後も恩返しをしていきます。


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一巡したいまだから云えることだけれど、「芸術に触れること」はその人間(ひと)の心を豊かにするだけでなく、『魂』が一段階上に昇華されることなのだと理解するようになりました。アンディ・ウォーホルにロイ・リキテンシュタイン、エドワード・ホッパーにジョージア・オキーフ。ヨハネス・フェルメールにフェリックス・ヴァロットン、クロード・モネにエドヴァルド・ムンク。歌川広重に葛飾北斎、尾形光琳に横山大観。堰を切ったようにこの数年間、絵画作品をこの目で見てきました。その作品が描かれた時代背景や制作技法をほとんど独学ですが一所懸命に吸収してきました。作家の抱える葛藤や闇を追体験してきたわけです_


_僕が今春、二つの大判の作品( “LP”と“BP”_ブログ《前篇》参照 )を描き上げた最大の理由はまさに、「絵を描くこと」や「芸術に触れること」への『解答』を出そうとした、「僕なりの試み」だったわけです。それは云わば、やはり『冒険』そのものだったわけですが最期の方はもうボロボロになってしまいました。ですが、それでも僕は何とかその『冒険』から生還しました。そして、これを最期に「筆を置こう。」とも考えましたが、『冒険』家の血が騒ぐのかまた、性懲りもなく描きたい絵が出てきました。次はもっと自然の風景を描いていこうかと思っています。雄大でいながら人間の営みを丁寧に描いた、山水画のような絵を。


[了]



























































































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