真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
マルセル・プルースト
The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes,
but in having new eyes.
Marcel Proust
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「船乗りマツエ」
遊覧船はゆっくりとした速度で進んでいる。とき時、岸辺の岩の上で甲羅干しをする亀の姿が目に留まる。午後の日差しは強く、突き出した屋根の陰影が船先にくっきりと線を引いている。船頭が僕たちに声をかける度に船の屋根が前方に傾き、目の前の橋の下を潜るタイミングを知らせてくれる。座っていられないくらい屋根は傾くので、乗船している者たちの中には何人か船底に横になっている。橋の下を潜っているとき、ひやりとした空気が船内を流れる。暗闇の中で前方を睨んでいると、水面を照らす光りがこちらに近づいてきて一瞬のうちに光りの洪水になる。その度に、僕はチカチカする目を慣らす必要がある。そんな行動を何度かくり返しながら遊覧船はゆっくりとした速度で城下堀を巡ってゆく_ 昼間の眩しさに弱い僕は堪らず濃いサングラスをかけて、地上より低い位置から街の様子を仔細に眺める。岸辺に植わった名を持たない花が咲くのを目にする。軒先で洗濯物がはためき民家の中で人びとが閑かに暮らす息づかいを感じとる。僕は清風を頬に受けながらつかの間、タイムスリップして築城400年以上前の(江戸時代を生きた)町人たちの気持ちを味わう_ 松江城の城下堀を遊覧船で巡りながら、僕の『冒険』はいよいよクライマックスへと向かうことになる。その先で奇妙な場所に迷いこみ強烈な個性の持ち主たちに会敵するのも知らずに。「島根探訪♯3(後篇)_ 聖人たちの国」の始まりである。
船上で携帯電話にメッセージが入ったのは、僕たちが遊覧船に乗り込んですぐのことだ。送信者の名前を確かめると、ついさっきまで車の中で一緒だった担当S氏からだった。「船着場の受付で名前を名乗ってください。伝えていただければ判るようになっています」_ 城下堀を巡ったあとすぐに指定された場所へと向かい、云われた通り自分の名前を受付の女性に伝えるとA4サイズくらいの茶封筒を手渡された。早速、開けて中身を引っ張り出してみると「都会から移住希望の者たち」という見出しが付けられた地元新聞のコピーが一枚入っており、よく見ると「『冒険』奇譚(前篇)」で僕たちが訪れた出雲市は佐田地域での「『田舎』暮らし体験」の様子が新聞の一面記事のトップニュースとして大きく紙面を割いていた。記事の写真は中山間地域に点在する空き家を見学している僕たちの姿が写っていた。記事によればこのツアーを企画した団体のことが書かれており、文末には僕の実名と年齢と職業の他にその場に相応しいコメント(本当にそう答えたのかよく覚えていない)が載っていた。おまけに僕の職業は「イラストレーター」と話が変わっていた_ 昼食をとっている間も僕はその記事をゆっくりと読み返していたのだけれど、その度に不思議な気持ちになることになった。そしてこう思った「メディアから遠ざかろうとすればするほどメディアが近づいてくる。これじゃあ、まるでカフカの小説みたいだ。」と_
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「石光りミホノセキ」
松江城下の堀川巡りを愉しんだ僕たちは、タクシーで松江駅まで移動して簡単に昼食を済ました。その日の午後は松江市の「ふるさと定住財団」担当N氏と面会の約束をしていた。「『冒険』奇譚(後篇)」の最初の目的は実は松江市が水面下で準備を進めてきたあるプロジェクトの話を訊くことだった。話は二ヶ月前に遡るのだけれど七月に一度、僕が島根を再訪したあとすぐに東京の日本橋にある「にほんばし島根館」に足を運んでそこでM氏というやり手の担当者にお会いしたのがきっかけだった。その席で僕は「東京と島根を行き来する『Zターン(往来型)』の移住計画を考えている。」と相談を持ちかけた。その話と僕の経歴を知った担当M氏から後日、「一度、松江市のプロジェクトについて話を訊いてやってくれませんか。」と声をかけてもらった。その頃、僕はちょうど「『冒険』奇譚(前・中篇)」の手配を組んでいたので、どうせならばということで今回滞在を延長して面会の時間を設けてもらったのだけれど担当N氏(・他)と妻と義妹は以前に島根を訪れた際に何度か会っていた様子で思いがけない再会を果たすことになった。面会場所は駅前に隣接する定住財団の事務所で行われた。内容はわかりやすく云うと、「松江市の街おこしを担う、次代のメンバーを募集する」というものだった(この松江市の「Hプロジェクト(仮称)」については、ブログの最後に<後日附記>で詳細を記しておきます)。
和やかなムードの中で面会も無事に終わり、その後僕たちは担当N氏が運転する車で全国的にも有名な某書店を案内していただいた。担当N氏と姉妹が書店で店主と挨拶を交わしている中、僕は独り店の外に出てぼんやりと考え事をしていた(いまから思うとこの時点で僕はちょっとした「『冒険』ブルー」にかかっていたのかもしれません。ちなみにこの「『冒険』ブルー」というのは、僕が勝手に思いついた造語で使い方は「マリッジ・ブルー」と同じです)。ついさっきまで、僕は「崖の上にある古民家」で海風に吹かれながら対岸の島でくるくると回る数十機の風車を眺めていたのだ。その前は山羊に追いかけられたりしながら、赤穂が頭を垂れている風景を目の前していたのだ。それがどうだろう、いまは風車も山羊もここには存在しない_ しばらくの間、僕はそこに佇んで彼女たちが店の外に出てくるまで目眩にも似た感覚をやり過ごしていた。やがてそれも収まる頃には、僕たちは車で松江市を北上して島根と鳥取の県境にある港町「美保関(みほのせき)」に到着していた。この港町は昔から巨石文化のある場所として、沖合の海から青く光る石を切り出してきて町の敷石に利用していることで有名な町だった。僕たちが到着したちょうどその時、雨降りと重なり敷石は青く妖しい光りを帯び始めていた。泊まった老舗旅館の雰囲気や地元のキーパーソンとの会敵も相まって『冒険』はいよいよ佳境を迎えていた。
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「お喋りマツエ」
翌日の朝、僕たちは老舗旅館で朝食を済ましたあと、その場所を逃げ去るように松江市内へと戻った。その日の朝も敷石は青く妖しい光りを放ちつづけていた(僕は霊感みたいなものは持ってないけれど、この港町には何か特別な力が働いているような気がしました。同じ海辺の町でも鵜鷺とは全然雰囲気が違って、地元のキーパーソンにその辺のことを尋ねたら「その昔、この港町は花街でしたからおそらく、そういう妖しさが漂っているんのではないのでしょうか。」と笑いながら答えてくれた。でも、僕はそういう妖しさよりももっとフィジカルなそれこそ鳥肌が立つような妖気を感じていたのですが。それについては敢えて触れずにその場は頷いておいた)_ 「今日は皆さんに紹介したい人が市内で待っておられるので少し寄り道しますね。」と何でもなさそうに僕たちに伝えた担当N氏はアクセルを踏み込んで速度を上げた。この日、僕たちは松江市を離れて「『冒険』奇譚(前篇)」で滞在した中山間地域の佐田に近い雲南市の木次(きすき)で乳業会社を訪問することになっていた。でも、その前に是非会ってもらいたいキーパーソンがいるという。僕は担当N氏とは今回初めて会ったのだけれど、彼は松江市の「ふるさと定住財団」の職員として働いていて有能なんですがだんだん彼のことがよく解ってきたような気がした。平素はニコニコして柔和なんだけれど彼自身も実はこの松江市ではキーパーソンなのだ。
「こんにちわー。今日ご一緒させていただくKと云いますー。」_ よく通る声で元気なご挨拶をくださったのは、島根の中でも有名な地場野菜宅配サービスの会社を経営されているKサン。僕は事前に彼のブログを読んでいたので何となく「活動的な方なのだろうな。」と予想していたのだけれど、想像を超えるくらい快活でお喋りが上手な方だった。挨拶もそこそこに僕たちは早速、Kサンの車へと乗り換えて互いの自己紹介をしながら目的地の雲南市に向かった。道中、Kサンのお話を訊いていたら僕たちが住む世田谷の家の近くに東京の事務所を構えていることが判った。東京のローカルな話がつづく中、そろそろ話題を変えてみようと松江市のことについて伺ったら目つきが鋭くなった。Kサンの話によれば島根と云っても(松江市などは)最近は、僕たちのような若い世代が移り住んできてまったく地元の地域活動に手を貸してもらえないと嘆き始めた。「田舎ですからそりゃあ、草とりやら収穫やら何かとあります。でも、それはどうでもいいんです。問題は子どもたちのための学校や自治会の運営なんです。いまは子どものために、親は塾やサッカークラブなどに通わす人が多くなって子どもの送り迎えなどでまともに時間がとれないんですわ。学校の運営が滞ってしまった影響で今年は近所の小学校で運動会が開催できなかったですし。」_ Kサンの話が本当だとしたら、それは東京が抱える問題とほとんど一緒だと思った。
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「乳絞りキスキ」
雲南市の木次にある乳業会社に到着したのはお昼前で到着早々、僕たちは会社の中にある広い会議室のような場所に案内されて、牛乳が作られるまでの行程や製品の安全性についてビデオ・プログラムを観ながら学んだ。その場で「パスチャライズ製法」という特殊な加工方法で製造された牛乳も飲ませてもらったのだけれど、これが思わず絶句するくらい美味かった。こちらの牛乳は滅菌行程が他の会社と違っていて、絞った牛乳を高温処理する温度が低いというのが特徴らしくてなるほど、飲みごこちがサラッとしていて牛乳特有の舌にザラッと残る脂肪分がまったくない。他の会社ではこの滅菌行程でかなりの高温で牛乳を処理してしまうのでどうしても脂肪分が残ってしまうということである(僕は普段、牛乳はあまり飲まないのだけれどこの日は二本も飲み干してしまった)。こちらの乳業会社は経営理念もしっかりしていて、乳牛も近隣の山の高地でのびのびと育てており生産量も一定に保っているとのこと。東京はごく限られた場所でしか販売していないけれど、販路を拡大するつもりはないとのこと。その分、こちらの乳業会社ではチーズやアイスの製造も行っており、ちらっとベテランの職人スタッフがフレッシュ・チーズを作っているところも見学させてもらった。「チーズにはやはりワインが合うだろうということで、実は奥出雲地域にワイナリーも経営しております。」_ 堅実経営とはまさにこのことだ。
この雲南市には前回、七月に鵜鷺を訪れた際にお会いしてご挨拶をさせてもらった若いご夫婦がいらっしゃって、そのご夫婦も今年、この雲南市に移住してきたばかりで旦那さんは実はこの乳業会社で就職を決めて働いていた。当日、僕たちが見学に来ていると知ってわざわざ顔を出してくださった(しかも最後にバニラ・アイスクリームを振る舞っていただいたのですが、このアイスの優しいお味といったら!)。「楽しく働いていますよ、とにかくここでは。」と語る彼の顔を見ていると人柄が製品にも顕われているんだろうなあと思いながら、僕たちは乳業会社をあとにした。するとここで、担当N氏から提案が飛び出す。「皆さんどうでしょう? このあと時間が許されるならば雲南市に新しく出来たシェア・オフィスを見学しに行きませんかね?」 もちろん、構いませんよという返事をするまでもなく車は小さな商店街の一角を目指していた。「やれやれ。この先、あと何人の『聖人』たちと出会うんだろう?(まあ、いいさ。ここまで来たんだ、達人でも職人でも来やがれってんだ)」と僕は肝を据えた。黙っていてもメディアが追いかけてくるパーティなんだ(始めから何となくそんな予感はしていた)_ そのシェア・オフィスは町に元々あった電気屋を改装して出来たということもあって、木造りのなかなか古風な内装で一階の壁面は今風にチョーク・ウォールになっていたので、サイン代わりに自画像を残した。
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「雨降りタマヅクリ」
雲南市のシェア・オフィスを訪問を終えたあと、担当N氏はまた誰かと携帯電話で話しをつけていた。「さあ、次は誰が来るんだ? 来るならかかって来い!」という気持ちはどこへやら、もうその頃には僕は「『冒険』ブルー」の深刻な状態になっていて長旅の疲れがいままさにピークを迎えようとしていた。木次の乳業会社の見学を終えたら、僕たちは慰労がてら玉造温泉に立ち寄ろうと計画していたので担当N氏にその旨を伝えると、「わかりました。現地で皆さんのことをお迎えする者が待っています。玉造温泉までは僕が先導します。」と柔和な笑顔で応えてくれたけれど、玉造温泉に到着した頃には雨降りが本格的に始まっていた。ここで同行していたKサンと担当N氏にお礼と再会の約束をして別れた。入れ違いに僕たちを引き受けてくださったのは、玉造温泉のキーパーソンSサンだ。物腰がとても柔らかい方で僕たちの目的を知ると、ノートパソコンのスライドショーを駆使して「自分はこんな人間です!」と自己紹介を始めてくださった(詳細は省かせてもらいますが、このSサンは荒んでいた玉造温泉の観光状況を、知恵とアイデアや驚異的なやる気で180度ひっくり返してしまった人物で、<後日附記>に記した松江市の「Hプロジェクト(仮称)」のチームメンバーのお一人だった。ちなみに美保関でお会いしたキーパーソンの方も同プロジェクトのメンバーで後日、僕はこのお二人と東京で再会することになる)。
「Hプロジェクト(仮称)」の打ち合わせがまさにこの後、松江市で行われる予定があったのに突然訪れた僕たちを温かく迎え入れてくださり、出発のギリギリまで時間を割いて「玉造温泉の再生物語」を語ってくださったキーパーソンSサンの説明によれば、温泉街の再生までに十年くらいはかかったとのこと。無駄遣いしていた温泉街の宣伝費を見直して、人気イラストレーターを起用して紹介写真を一切使用しない小冊子を発刊(僕もこの手の小冊子を作ってきたことがあるので判るんだけれど本当によく出来ていました。「温泉街の宣伝ツールをほとんどこれに集約してしまった。」と仰っていたけれど、大胆な発想が素晴らしかった)、また温泉の効能を文字だけで知るのではなく「持ち帰って再現できる」ように、コスメティック用に商品展開をしてサテライト・ショップまで開かれ事業化したのが大当たり。全国規模で注文が舞い込み財政面で黒字化に成功したという。その他、願掛けの仕掛けを上手に利用したりとお話は尽きなかったのですが、残念ながらそこでタイムアップ_ 実際に当地の湯に浸かりながら僕は今回の「『冒険』奇譚(前・中・後篇)」を早くも振り返ってみたけれど、旅の疲労と度重なる『聖人』たちとの会敵で思考はほとんど停止した状態で何か物を考えようにもぼんやりと霞がかってその先が想像が出来なかった。わからない、あるいはそれはただの湯けむりのせいだったのかもしれない。
[了]
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「後日附記」
玉造温泉で休んだあと僕たちは松江駅までバスで移動してそこで別れた。旅の途中だったけれど僕としては当初の目的は果たせたし、もうこれ以上長く滞在していてもまともな体験が出来るとは思えなかった。移動に次ぐ移動で体力的にも限界を迎えようとしていたし動物たちと触れ合っていたところから、いきなり『聖人』たちと会敵したことで調整が利かず前述したように、「『冒険』ブルー」の状態が起こりつつあった。目まぐるしいスピードで情報が行き交う不自然な日常生活(都市部で暮らす人びとにとっては、それが自然なのでしょうが)を送っていたところから、便利さとは無縁の場所で自然と共に生きる日常生活を体験してきた今回の『冒険』の振り戻しがやってきたわけです。こうなるとあとは何もしても元にはなかなか戻りません。大人しくテントを畳んでベースキャンプから、麓の町まで下山するだけです。という訳で僕の「島根担当♯3_羊をめぐる冒険」はこれで終りました。考えてみれば、僕はこれまでの『冒険』で島根県の限定された場所だけではありますが、山奥と海辺と中山間地域とバランスよく巡って来ました。最初は奥出雲で囲炉裏のあるサスティナブルな生活を体験して、次は鵜鷺の均衡が図れたコミュニティ・フィールドを目の当たりにして、そして今回は佐田で動物たちと触れ合いながら「ハブ機能」を持った町の在り方について学んだわけです。一年に三回、なかなかのペースです。
『東京』に戻ってきてから一ヶ月くらいをかけてこの「『冒険』奇譚(前・中・後篇)」をまとめてきましたが、その途中で今月初旬に都内某所で松江市が水面下で準備を進めてきた「Hプロジェクト(仮称)」公開イベントが開かれるというので参加してきました。そこで僕は何人かの『聖人』たちと再会を果たしましたが、その公開イベントの内容は「ふるさと定住財団」の事務所で面会した時に伺った内容とほとんど同じものでした。松江市は過去何度かの地域統合を経て、現在は数ブロックのエリアから成り立っているのですが、地域によっては地場産業や町おこしの部分で十分にその土地のポテンシャルを引き出せていないのが現状で、行政という立場では人口減少や税収面の対策を早急に考えておかないといけないので、各ブロック毎に「シン・地域おこし協力隊」メンバー募集を集ってそれを民間団体(美保関や玉造温泉の『聖人』の方々です)とタッグを組んでプロジェクト化しようというのが今回の動きだそうで、僕はこのプロジェクトには最初乗り気だったのですが、彼らの話す言葉を聞けば聞くほど首を横に捻ることになった。彼らの話す言葉はつねに「事業化」「ビジネスモデル」といった、『東京』の街角で耳にするような内容と一緒だったからです_ そして、僕は公開イベントに参加したその翌日、「ふるさとつなぎ」の担当S氏に連絡をとって、鵜峠の「『崖の上の古民家』に住みたい。」と告げた。
次回、『絵描きPANKICHIのワクワクをめぐる冒険』ブログ更新は12月下旬更新予定です。
タイトル「島根探訪♯4_冬のナギサ」前後篇へとつづきます。乞うご期待^^

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